真冬に咲く花はいろいろあるが…わが家では今年初めてキダチアロエの花が咲いた。
キダチアロエは「木立アロエ」と書き、木の幹から枝が伸びているかのように茎から葉が広がることに由来している。またアラビア語の「alloeh(苦みがある)」から、種小名である「Aloe」はきている。
キダチアロエは、南アフリカ原産で、ツルボラン科アロエ属の多肉植物である。葉は剣状で多汁、灰緑色をしており、葉縁には三角形の棘が密についている。
また「医者いらず」とも呼ばれ、胃腸薬・火傷の薬効があるとされている。アフリカ原産の植物なので、暑さや乾燥には強く、低温にも比較的強いので、育てやすい植物でもある。
キダチアロエには火傷に非常に強力とされる成分「カルボキシぺプチナーゼ」が含まれており、この成分は傷の治癒をはやめ、化膿を防止するとともに、体全体の抗炎症作用にも大変有効とされている。又、火傷以外にも打撲や捻挫にも効果があるといわれている。
更に、キダチアロエに含まれる成分の「レクチン」は、リンパ球の増殖によって免疫活動を活性化させ、風邪をひきにくい体質をつくることができるといわれている。
キダチアロエの花は、11月頃から翌年の2月頃にかけて開花し、長い花茎を出して、その先端から「総状花序」と呼ばれる柄のある小花が長い円錐形または円柱形に並ぶトーチ状で鮮朱色の筒状花を多数つける。
キダチアロエの花言葉には、日本ではその薬効から「永遠の健康」「万能」「信頼」などの花言葉がある。また、西洋での花言葉は、その苦い味に由来して「苦痛」「悲嘆」である。
キダチアロエの花は条件がそろうと不定期に咲くらしい。花を咲かせる条件には、「ある程度大きくなる、余り水をやらない、冬の寒さから守る、日光をよく浴びる」などがある。
そういう意味でわが家のアロエの成育環境は、花を咲かせるのに適しているかもしれない。水遣りをサボっている訳でないが、多肉植物なので多少乾燥気味にするように心掛け、家の縁側近くにおき、野晒しではなく日中はしっかり日が当たるようにしている。
そういえば同じく多肉植物のシャコバサボテン(デンマークカクタス)も咲き始めている。
キダチアロエとシャコバサボテンは元々、引っ越しや庭仕舞いをする夫のお客さんから譲り受けたもの。
わが家に来た当時は結構瀕死に近い状況であったが、今ではこの冬の寒さにも負けず屋外で元気に育ってくれて花まで咲かせてくれた。
多肉植物には冬に咲く他の草花類とは全く違う不思議な魅力がある。もふもふとした花を咲かすもの、実際どれが本当の花なのか一見するとよく分からないもの、成長が比較的緩やかなものが多く花が咲かなくともそのぷっくりとした可愛らしい容姿の虜になっている多肉女子も密かに増殖中と聞く。
ちなみにわが家の場合、基本的に夫が多肉や観葉植物の面倒をみる暗黙のルールがあった筈が、今は大半のお手入れや水遣りがわたしの担当になっていることもあり、そうと気付かずに多肉女子化しているのではと懸念している。
さてさて…孫が生まれた時くらいから特に時間の流れが早くなってきているような気がしている。巷では、そろそろ“年賀状しまい“の流れが本格化してきているようだが、今年はとうとう娘の義理両親からそんなお知らせを受け取ることとなった。とはいえわが家は既にここ数年来、一応年賀状は用意するものの、元旦に届いた年賀状を見てそれに返信する方式で、年賀状を書くようになっていたので全く残念だとも思わなかった。
これも終活の一環とでもいうのか、あちらの両親にしたらもしかすると、多少罪悪感のようなものを感じているのかしら?などと考えると、こちらのほうから言うべきだったのかなどと寧ろそのことのほうが心苦しかった。
これが年を取るということなのか。近頃ではブログの更新にもあまり身が入らない。というのも、TV…特に情報系のバラエティ番組などほとんど見ることもなくなり、専らポケモンスリープや園芸系、興味のあるドラマの考察についての動画配信をみて楽しむようになってきている。
旅行やグルメなどについては、おそらく語り出したらキリがないくらい経験していることもあるのだが、PVや『映え』狙いではないので、小さなことを大袈裟に言ってみたり、逆に都合の悪いことは意図的にトーンダウンしたり、まるで今のブログやSNSの世界は、TVやマスコミの所業をそのまま踏襲するような雰囲気なので、全く馴染むことが出来ない居心地の悪さを感じている。
正直、食べ歩き系の記事やその画像などをみても、一つの対象をアングルを変えて接写した画像を何枚も見せつけられたり、編集しまくって異様に整いすぎた画像など、しつこすぎて嫌気がさすようになってしまった。
わたしは、料理研究家でもプロの料理人でもないただの美味しいもの好きな主婦なので、ただシンプルに、自分が美味しいと思った料理やスイーツを楽しんで食べるだけで幸せなのだ。
料理がいくら目で食べる要素が大きいと言っても、実際食べてみて…これは違うと思うことも多々あるだろう。逆に言うと、あまり見た目ばかりにこだわってしまうと、美味しさの追求という料理本来の目的を見失ってしまいかねない。
そんな写真を何枚も撮る暇があるなら、温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べることが、料理を作ってくれた人に敬意を払うことではないのか。
今はあまりにも視野が狭く身勝手な“食いしん坊を極めた方々“が多すぎる。はっきり言ってそんな輩の食レポで、変な先入観を植え付けられるのは甚だ迷惑でしかない。
それに引き換え…植物たちのなんて穏やかで正直なことかと思う。
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