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貴方は『国宝』を観ましたか!?

時に人生はジグソーパズルに例えられることがあるが…人生における様々な出来事や経験は、パズルのピースのように最初は何の脈絡もなく見えることも、後で振り返るとそれぞれのピースが繋がって意味を持つようになる。

近頃わたしがまさにそんな不思議な感覚に捉われるような体験をしている。

先月下旬、日曜美術館に背中を押されるように、娘①に貰ったチケットを携えルドン展に赴き、その翌週には歌舞伎座で、尾上菊五郎丈と尾上菊之助丈の襲名披露公演を観覧した。そして次の日曜にはBSフジで『2人の菊五郎 11歳の菊之助 ~密着100日 世紀の襲名ドキュメント~』が放送された。

そして先日娘①からこんなLINEメッセージが届いた。

映画の国宝みる?
吉沢亮と横浜流星の大河コンビの

おお。確かに、吉沢亮の『青天を衝け』も完走したし、今の『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』もそこそこ楽しませてもらっている。しかもここに、田沼意次役で出ている渡辺謙。光る君の定子役で出ていた高畑充希、ダンサー・俳優として異彩を放つ田中泯など錚々たる顔触れが集う。もうこれは、“何かもの凄いモノ“を見せられる予感しかないではないか。

そしてこちらの動画がダメを押した。

ということで昨日急遽駅前のテラモの109シネマのレイトショーでソロ観覧してきた。

インタビューで謙さんも言っていたが、これは間違いなく俳優・吉沢亮の代表作となる作品だと思った。

とは言え、歌舞伎という伝統芸能に携わる方々から見れば『血筋が全て』という“不文律“は動かしようがなく、この映画に梨園の女将さん役で登場した寺島しのぶは、『これはあり得ない話』とコメントしていたが、そんな側面も否定出来ない。

しかし現在現役で活躍している人間国宝“坂東玉三郎丈“のような存在があることからしても、“才能“が“血“を凌駕する、『事実は小説よりも奇なり』を地でいくような展開もあるのだから、“人生は最後まで生きてみないと分からない“と思えた。

読売新聞オンラインより

さて、映画のレビューを見ると、この映画を観た人の多くは、『本当の歌舞伎を観たことがない人が多数を占めていた』かくいうわたしも、本格的な歌舞伎を通しで観たのは先日が初めてだった。

しかし直近の記憶も冷めやらぬ内に、今度は映像で、且つ歌舞伎役者ではない俳優さんたちが描く“歌舞伎という世界“を垣間見ることが出来るなんて、タイムリーにも程がある。

やはりわたしは“持っている“のかもしれない(笑)

などと冗談はさておき、ただ単純に、吉沢亮と横浜流星が綺麗だったとか、勇気を貰ったとか。それだけの感想ならば、先日せっかく身銭を切って歌舞伎をみた意味が薄くなってしまうので、わたしなりの感想を付け加えたい。

でもこれ、某〇〇さんみたいに、『好まないので』とかいう“愛が全く感じられない感想“とは違うと思っている。

あくまでこの映画、邦画の中では近年稀にみる傑作だと思っている。でもそうは言ってもただ賞賛だけでは思考が停滞してしまいかねないので、あえてツッコミどころを探してみたという感じ。

まずひとつ目に残念だった点は、主人公喜久雄の女形としての才能にいち早く気づきついには彼に自らの名跡を継がせるという前代未聞の決断を下した師匠二代目・花井半次郎を演じた渡辺謙のガタイが良すぎて女形の名手に見えなかったこと。

そしてそれは現代の梨園でもあるあるだが、喜久雄を献身的に支えた女性たちに対する仕打ちだ。特に子供・綾乃の前で神社の鈴を鳴らしながら「もっと歌舞伎が上手くなるよう悪魔と取引した」という喜久雄。これは芸の為に普通の人間としての幸せを諦めるという彼の狂気じみた覚悟の表れ。このあと、半次郎の名を継いだパレードで追ってくる綾乃の姿が目に入らない喜久雄。そして表舞台に立つために利用した重鎮の娘・彰子のことを全く見ていない喜久雄。

これはフィクションとしてはありなのかもしれないが、現代的な感覚でいうと、美化されるべきことではないと思った。

そして、吉沢亮と横浜流星のコンビが爽やかだったからか、そこまでドロドロとした雰囲気ではなかったが、実はかなり“怖い“話だ。シンプルに感動するというより、歌舞伎界、ひいては芸能界の実態にも真摯に向きあっていたと思う。

半次郎の後ろ盾がなくなった喜久雄が端役しかもらえず、8年ぶりに帰ってきた俊介がメインを張れる歌舞伎界。歌舞伎界の血の呪縛の怖さをまざまざと見せつけられた。天皇家や貴族のように血筋が絶対の世界があるのだろう

血筋が芸を凌駕する。実は現代でもそんなことが日常茶飯事なのかもしれない。

また演技面では吉沢亮、横浜流星両人とも素晴らしかったが、著名な舞踊家である田中泯さん(人間国宝・万菊)が芸について語るときの説得力が半端なくて、すべてを見透かしたような目の動き、喋り方が、もはや現代の舞踊・演劇の世界において人間国宝レベルの田中泯そのものが、作品に説得力と凄みを与えていたように思う。

そして肝心の歌舞伎の舞踊についてだが、ちょうど直近で連獅子を観たばかりだったので、あのような中途半端なカタチにするぐらいならば、カットしても良かったのではないかと思ったぐらいだ。

また映画の形式上仕方ないことなのだが、歌舞伎の舞台で演者の顔をアップにする演出の多用が気になった。歌舞伎に限らず普通の芝居やステージの映像化にはやはり限界があるのではないかと感じた。いろいろと難しい点があるのは理解しているが、個人的には、もう少し引きのシーンが多くてもよかった。

とまあいろいろと注文はつけてはいるけれど、おそらく原作監督キャストをはじめとする面々が一番望んでいることは、これをきっかけに歌舞伎という他に類を見ない世界観を持った日本の伝統芸能に、興味を持ち劇場に足を運んで『本物の歌舞伎を知って欲しい』ということだと思う。

またいつか…それほど遠くない未来に。歌舞伎を観に行きたいと思った。

ところで余談だが、横浜流星の女形のお姿が、七之助さんに見えて仕方がなかった(^^)

最後に、今年もアストロフィツムの花が何度も咲いている。夕方になると花が閉じてしまうので、ついつい見過ごしてしまいがちなのだが、咲いている時はいつ見てもため息が出るくらいに美しい。この神秘的な雰囲気はなんとなく歌舞伎の女形の風情を思い起こさせる。

アストロフィツムの花

そういえば以前、出雲大社を訪れた時、そこから稲佐の浜に行く途中に、出雲阿国の墓をに立ち寄った。

出雲阿国とは、日本を代表する芸能・歌舞伎の始祖。

阿国は出雲大社の鍛冶職中村三右衛門の子で、出雲大社の巫女であったと伝わる。
天正(1573~1592)の頃、出雲大社本殿の修復のため京都で念仏踊りを上演し後の歌舞伎踊り(芝居)を創始したのが始まりと言われている。

出雲阿国の墓

あの時食べた、のどぐろの美味しさが今でも忘れられない。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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