世間はお盆休み中ということで、娘①ファミリーは義理息子くんの実家に帰省中。
そして娘②はお友達とトルコのイスタンブールに旅立った。その前にわたしは、都内の娘の家にニアを引き取りに行ってきたので、今回は約10日間のお預かりだ。

息子は先週は会社の仕事絡みで佐渡に行っていたらしいが、今週ちょっくら所用で顔を出す予定。
子供たちも三者三様だがそれはそれでいいかな。わたしも夫も基本的に群れたいタイプじゃないので、むしろ騒々しいほうが苦手なのだ(^_^;)
あ、でも、少なくとも夫はコミュ障ではない。むしろコミュ力がありすぎるぐらいなので、これで何ら問題はない(笑)
さてさてこんな感じなので、例の〇〇さんのブログチェックもお休みしようと思っていたが、相変わらずなのでやはり今日も引き続きツッコミを入れることにした(^^)
きっと〇〇さんの信者さんたちからしたら、わたしは札付きの悪の如くに映っていると思うが、人間って表面や口先だけでは何にも分からないのよね。わたしが〇〇さんを観察の対象に決めたのも、最初は些細なきっかけだったのだが、いやー次から次へと出るわ出るわ。そして『類は友を呼ぶ』で〇〇さんの周辺でも怪しい臭いがプンプンだ。その怪しさは馬糞の臭い並みだったりして(* ´艸`)
本日のお題は、ザルツブルクのミラベル庭園についてだ。いや、その前にこの件も聞き捨てならんわ。
一般人にとってザルツと言えばザルツライオン。若い人は知らないかもしれないけれど、ライオンから発売されていた「塩」歯磨き粉。
どうして、〇〇さんって自分の常識が全てなんだろう。いつも口癖のように『道民は』って仰るけれど、北海道だって広いし、道民の〇〇さん本人ですらまだ訪れていない場所があるのだから、そういう決めつけは、〇〇さん自身の『みんな違ってみんないい』の理念に反するんじゃないかしら。
で今回は、『道民』を飛び越えて、『一般人』と来たもんだ。ってことは、わたしも一般人、しかも〇〇さんとそう歳も離れていないし、性別も一緒なんだけど、『ザルツと言えばザルツライオン』なんて思わなかったけどな(ㆀ˘・з・˘)
いや、こんなところで遊んでいる場合じゃない。ミラベル庭園についてだよ。

見てきたのはミラベル庭園。大司教が愛人のために建てたという宮殿のお庭。大司教なのに……権力を持つと徳は速やかに消え去るな。
これね、現代の日本人的感覚で言えば、違和感ないコメントなのかもしれないが、この庭園が建てられた時代背景を知らずして、“自称地理の苦手な〇〇さん“がお得意の偏見で語ってもいいものだろうか。
ちなみにわたし、高校時代は最初理系志望だったので、社会科の選択科目は地理だった。で理科の選択科目は、物理と化学。数学は、微分・積分まで。結局、土壇場で文転して、受験した国公立の2次試験は、小論文と数学で、おそらく数学のお陰でギリギリ合格したんじゃないかと(^_^;)
でもね、受験科目として社会科の勉強はしていなかったが、自分が憧れる偉人の伝記物が大好きで、受験勉強の気分転換によく読んでいた。
たとえば、微分積分の発展に最も貢献したアイザック・ニュートン。かの有名な万有引力の法則や運動の法則は、微分積分の応用から生み出された法則である。
わー話が脱線しすぎてる(笑)で結局何が言いたいかというと、伝記物を読むのが大好きだったので、自然と日本史や世界史、地理も詳しくなっていったというわけ。なので当然、モーツァルトやベートーヴェンの伝記も読んでいたわよ。
でね、ここで大司教の話なんだけど、15世紀頃の聖職者たちってね、当時の農民たちが明日の食べ物にも困るような生活を送っているのに、美食を貪ったり禁欲など無視の放蕩生活を送ったりと、相当腐敗していたらしいのよ。なので、〇〇さんが仰るような『権力を持つと徳は速やかに消え去るな。』っていう単純な話ではなく、社会全体がそういった不条理が罷り通っていた時代だったのよ。
まあでも、この噂の大司教さんは確かに相当やり過ぎたのだけどね。この方、ヴォルフ・ディートリヒさんっていうのだけど、わずか28歳でザルツブルク大司教に選ばれたのよ。頭脳明晰な人だったらしく、当時の規定よりも2年早く大司教に就任したのだとか。
が、アルプスの中にあるザルツブルクは彼にとっては田舎町以外の何モノでもなかった。でも、ザルツブルクの財政自体は豊富な岩塩の収入と金鉱の発見で裕福だった。にも関わらず代々の大司教たちはちょっとした賄賂や美食以外にこれといってお金の使い道を見い出せなかったようで、町のほうは地味だったのね。
そこで野心溢れるこの若い大司教は、「こうなったら権力を駆使してこの町を無理やりに作り変えよう!」と考えた。例えばザルツブルク大聖堂などは1598年に火事で燃え落ちて建て替えになったのだが、その火事は彼の放火じゃないのかという噂が立ったぐらい。その真偽はともかく、結局大聖堂の建て替えは大司教の意図したイタリア風の様式で着工(ただしヴォルフ・デートリヒ失脚後の1614年)された。
また、映画サウンド・オブ・ミュージックでも有名なミラベル宮殿(今の姿は火災で焼け落ちたあと1818年に当初とやや違う設計で再建されたもの)も、その前身はこの大司教が1606年に建ててサロメ・アルトという女性に贈った宮殿だった。
でここで、〇〇さんの認識不足をひとつ指摘するとすれば、どんなに放蕩者であっても、当時のカトリックの聖職者は一生独身を通すのが決まりだったので、大司教はサロメ・アルトと正式に結婚が出来なかった。で、苦肉の策として、表向きはサロメ・アルトを妾ということにした。妾であれば当時の聖職者は日常茶飯事で囲っていた時代だったので、誰も文句は言えなかったのだ。その後、大司教と彼女の間には15人の子供(そのうち5人は夭折)が生まれ、みんなで過ごす為に、宮殿でも作ろうということになったということなのだ。
とまあこんな感じでこの大司教さんの治世はお世辞にも善政とは言えないものだったが、一度始まってしまった「美しい町作り」は、のちの時代にも延々と続いた。いいか悪いかは別として、もしこの大司教がいなければザルツブルクが今ほど美しくならなかったことは確実だろう。
そして、大司教はサロメ・アルトをとても大切にしていたし、彼女もそれをイヤがるどころか、幸せだったと述べているので、この2人と家族はそれなりに幸せだったのではないだろうか。
このように詳しく歴史を紐解いてみると、同じミラベル庭園でも、〇〇さんが仰るのとは大分違って見えないだろうか。
印象操作といえば…あの石田純一氏の「不倫は文化」発言も、実は本人はそんなコトを言っていなかったということはご存知だろうか。
「不倫は文化」という言葉は、タレントの石田純一氏が1996年に発言したと誤解されて、広まったフレーズにすぎない。
あれ、当時わたしもワイドショーで見ていたが、実際には、石田氏は「不倫は文化」とは発言しておらず、記者からの質問に「許されないんですか? 今までの文化をつくったり、いい音楽やいい文学っていうのは、そういうことからもできている」と答えたものが、一部の言葉だけが切り取られ、「不倫は文化」と報道されてしまったのだ。
なので、〇〇さんのミラベル庭園についても、ステレオタイプの「金持ちオヤジが若いお妾さんを囲っている」という印象だけで発言されているのではないかと思った。
まあ今回のことに限らず、〇〇さんは自分の好まないものに対しては、剣もほろろにはねつけるような発言を繰り返しているが、それは、ご自身が仰る、「人それぞれだから」という考え方に大きく矛盾しているように思う。
本当はまだ言いたいことはあるが、今日はこの辺で。
そしてここまで、個人の勝手な思い込みをあたかも本当のように語るのはやめていただきたいなと。
他人や他の地域をどれだけ下げようとも、本人の価値は1ミリも上がることはない。本人の価値は、その人の日頃の行いで決まってくるものだと思う。
そして最後にこれだは言っておきたい。
〇〇
> Kさん どんだけお金持ちだったのよ~って感じの豪華さ!でっかなパン、買ってかぶりついてみたかった~
〇〇さん、ご存知ないのかもしれないが、実は外国人に一番嫌われているのがこのマナー違反。
パンは一口サイズにちぎってから食べるのが基本。かじりつくのは避けて下さいね。

もう、こういことしてると昔はよく「親の顔がみたい」なんて陰口叩かれたものだけど。おほほ(* ´艸`)
そう言えば、わたしが通っていた中学は田舎の普通の公立の学校だったけれど、下校時に『買い食い』が禁止だったな。だから今もその名残りで、『買い食い』って行為自体がとても下品に感じてしまう。
やはり大人になったら、買い食いではなく、食べ歩き(歩き食べではない)を楽しみたいものだ。
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