悪口は言うなキャンペーン

おそらく、彼等の矛先は「わたし」ではないと思っているが…というのも、「わたし」は彼等にとって「部外者」なので、きっと暗黙の了解で「無視しとけ」的なことになっているに違いないから。
そんな状況下で(これは偶然なのか、作為的なのかは知る由もない)、ちかごろ同時多発的に
「悪口は言うなキャンペーン」が展開されているようだ。
彼等に言わせると、「悪口」は「誹謗中傷の類」であり、その目的は「相手の自尊心を傷付けること」であり、そこに「明確な悪意」を感じてしまうのだろう。
一方、時々わたしが話すことは、「悪口」ではなく、「正当な批判」を主体とする「辛口」であり、その目的は周りの人の為であったり、共有するコミュニティの規範の為であったり、「何かのために相手を正すこと」であってそこに「悪意」は存在しない。
つまり、「悪口」と「辛口」の違いは“悪意の有無“になるわけだが、その線引きがなかなか難しい。
「正当な批判」を装って「自尊心」を傷つけようとする人がいる一方で、語彙力に乏しい人が「正当な批判」を言ったつもりが言葉足らずで「悪口」に聞こえてしまったり、そこら辺の境界線はかなり曖昧。
しかしたったひとつだけ、それが「悪口」なのか「辛口」なのかを判別する方法がある。それは「話」をすることだ。
単純に「悪口」だけを言う人とは話にならないことが、大きな特徴であり、こちらがどんなに「正当な反論」を言ったところで全く聞く耳を持とうとしない。
相手のほんの些細な言い間違いを論い、揚げ足取りで論点をすり替えマウントを取ってきたり、巧妙なトーンポリシングで、「そんな怒るな」「もっと冷静に話して」などと、あえて「問題の内容」には触れず、「感情的な態度」を問題にすることにより、徹底的にまともな話し合いに応じようとはしない。
一方、「辛口」な人は、基本的にその対象と真摯に向きあっていて、しっかり「聞く耳」は持っている。仮に話し合いをするならば、お互いが納得できる着地点を見出すこともやぶさかでない。
ただし、この方法には、それなりの「人間力」が伴うので、「同調と共感しか受け付けない」「異なるというだけで拒絶反応を示す人たち」には元々無理な芸当ではある。
なので、「理解力」や「判断力」「想像力」の乏しい人は、「悪口と辛口の区別」がつかず、「全てが悪口」に聞こえてしまうのだろう。
と、ここまで書いてきて…
いやーん、これまんま「輩たち」のコトじゃん!!
って笑ってしまった(*´ω`*)
嘘つきのはなし
ってコトで…先日、〇〇さんの記事を読んでいたら、また「事実の相違」を見つけてしまった。
もうね、夫にブログの存在を明かして救助要請をしたわ!みんな家族にブログやってるって教えている?
〇〇さん記事より
あれあれ?わたしね、以前懇意にしていたブロ友さんから、もう何年も前に「〇〇さんがひょんなことからブログの存在を夫さんに知られてしまったらしい」と聞いていたんだけどなぁ(^_^;)
そのブロ友さんにしても、〇〇さんの状況をわたしに間違えて伝えたとも思えないし、その話題が出たのも、今年去年の話ではなく、コロナ禍真っ最中の話なので、おそらく実際にそのブログの存在が発覚したのは、5年以上遡ると思われる。
家族にブログの存在が知られるとか知られないとか…自分自身の話でもない限りさして重大な話でもないので、そういう些細なことだけに、ブロ友さんが勘違いや嘘の情報をわざわざ伝える必要もないので、おそらくそれが本当のところなのかなって。
でも、わたしはちょっと理解に苦しむ。
もうずっと以前から夫さんにブログの存在を知られていたのに、あたかもつい最近知られることになったとアナウンスする意味って何かしら。
しかしわたしがこんなことを言ったところで、輩たちにしたら、「まるで〇〇さんが嘘をついたみたいに吹聴して、〇〇さんの人格否定して、あいつとんでもない奴だ\\\٩(๑`^´๑)۶////」って激怒するんだろう。
まあ、こんな思考停止の人たちに何を言っても仕方ないので、信じてくれとも思わないけど、ここでわたしがブロ友さんから聞いていた話とは時系列がかなり違っていることだけは紛れもない事実だと伝えておこう。
で、ここで一体何が言いたいのかというと、〇〇さんが夫さんにブログの存在を知られようとわたしの知ったコトではないが、わたしが気づいただけでも、どれだけ「嘘」をついていたのかなってこと。
もちろん全てが「悪意」とは思わないし、〇〇さんの思い違いや記憶違いなどいろいろあるだろう。ただ、わたしからみてそんな取るに足らない時系列の改竄や事実誤認を、日常的にあちこちに散りばめるような人を信じるに値するかしらってこと。
わたしは、この件について考えた時、ふとムーミンのキャラクターのスナフキンの言葉を思い出した。
あんまり誰かを崇拝したら、
ほんとの自由は、得られないんだぜ。
あーなんて深い言葉なんだろう。
わたしが折に触れて〇〇さんの嘘について語るのも、おそらくわたしなりの「辛口」な視点にすぎなくて、〇〇さんというより、〇〇さんをすっかり崇拝しきってしまい「同調と共感しか受け付けない」呪縛にハマっている人たちが一日も早く解放されたらいいのにと淡い期待を抱いてしまっているのかもしれない。
そういえば、わたしは昔から、崇拝や尊敬の念を感じられる人がいなかった。もちろん、その感情を否定するつもりはないが、「過度な尊敬」=「崇拝」はその人の言動の全てが正しいと「勘違い」してしまう危うさを孕んでいる。
そういった人たちは、その崇拝者の言動そのものが正しいのかどうかではなく、その人が言っているから、しているから正しいと、短絡的に結論付けるようになる。これがいわゆる洗脳という奴だ。
そういえば、以前「イラッとした」時に、ナナシさんという通りすがりの人にお説教をされたことがあったが、人は心が弱っている時ほど、共感性を持って寄り添ってくれる人に心を許してしまいがちだが、長年旅人をやっていた経験からいうと、こちらから頼んでもいないのに近づいてくる人のほとんどは怪しいと思って相手にしないことにしている。
わたしは、このネットの世界も同じだと思っていて、一見人当たりの良さそうな人ほど胡散臭いと思ってしまう。わたしのように外野から、批判したり批評したりする立場なら比較的安全なので言ってしまうが、とにかく、どんな些細な「嘘」であったとしても、嘘をつく人とは距離を置いたほうがいいと思っている。
その時は訳が分からなかったとしても、あとでどんな地雷となって爆発するか分からないので。
もちろん、どんな人でも間違いはある。全てが正しい人なんていやしない。誰だって、間違ったことをするし、間違ったことを言ったりする。
だから本来なら、ちゃんとその言動の一つ一つを自分の中で是が非かの判断をしないといけないのに、崇拝者に対してはそれが出来なくなり、判断基準が「言動」では無く、「発信をしている人」になってしまう。
この人が言ったから良い、あの人が言ったから悪い、は違うと思う。
それにしても、今回のターゲットは誰かしら?
少なくともわたしは、誰に何を言われても惑わされないので大丈夫だけど…まあ、いわゆる学校のイジメ問題と同じで、辛かったら、リアルに戻ればいいだけのこと。ここに止まることだけが正解ではないのだから。


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