スポンサーリンク

めぐり来る季節の中で

今朝は久しぶりに心地よい秋晴れ♫

いつのまにかクレマチスが返り咲きしていた。

クレマチス・ラスティングラブ

向かって左からサフラン、ラナンキュラス・ラックス・ディーバ、ドライ法で夏越ししたガーデンシクラメン・ジックスたち、管理さえ間違えなければ、毎年繰り返し芽吹いてくれる球根植物たちだ。

さて来週末はまたニアのお預かりがあるU^ェ^U

今月のトリミングの写真がとても可愛いので載せておこうかな♫

わんこや植物は邪気がないから、ただただ癒されるばかりだが、人と人とはそうはいかないことのほうが多い。

最近、人付き合いがとても億劫に感じる。

「わたくし怪しいものではございません」などという人に限って怪しいと思うし、昨日今日知り合った程度の関係なのに、やたら馴れ馴れしかったり、過剰に褒めちぎってきたり…そういう人のことは最初から信用しないのが賢明だ。

毎日ブロ活に勤しむ人々。ビジネスでやってる人は何も感じないのかもしれないが、そうでない人たちって一体何を求めて毎日活動されているのかしら。

誰かがアップした食べ物の画像を見て、「お腹一杯食べてみたいです」「美味しそうです」「夢のようです」って…TVに映る美味しそうな食べ物の画像を見て食べたようなつもりになっているさもしい心の人たちの感心を得たところで…そんなことで心が満たされる訳もないのに。

そんな虚しい日々のルーチンを繰り返して得た「いいね」の価値がいかほどのものなのだろうか。そんなことに労力を費やすくらいなら、自分で美味しいものを作って食べたほうがよほど幸せになれるのに。

なんとなく物足りない気分を紛らわそうと、話題のスポットに行ってみたり、ビュッフェに行ってお腹一杯食べようと試みるも…そんな“売り物”の“幸せ“を手に入れたとしても、あっという間に手のひらから溢れ落ちて、朝にはまたいい知れぬ飢餓感がふつふつと湧き上がってくる。

こういう人は、今目の前の幸せも見ようともせず、きっともっと素晴らしい幸せがあるに違いないと信じて疑わないのだろう。

そんな“幸せ未満の人“の話を聞いたところで、本当の幸せなんか手にすることなど出来ないのに。

おそらく本当に幸せな人は、常に心が満たされているから何も欲しがったりしない。

たとえばうちの夫。

娘に何か欲しいものはないか?と問われても、いつも何もいらないという。でも無気力というのとは違って、世界中を旅してみたいという願望はある。で実際に旅行会社に極力頼らずに、家族のサポートの下、ひとり旅を満喫している。

つまり何も欲しがらないというのは、“売り物“で得られるような“幸せ“を欲していないというだけの話で、自分の心を満たすことの何たるかを感覚的に知っているということなのだろう。

幸せになるのに、マニュアルや極意などというものはなく、本当に人それぞれに誰にもマネの出来ない“幸せのカタチ“があるのだろう。

なのでまずは、〇〇さんのようになりたいとか、憧れるとか、そんなお仕着せの“幸せ“なイメージを捨て去って、今自分が出来ること…目の前にあることの中から精度を研ぎ澄まして、“幸せ“に近づいていけたらと思う。

今日はひと月ぶりに、ルーシグレイに行って花苗を入手した。もちろん、花苗の時点でも素敵なのだが、この子たちの命を預かりお世話することの楽しさ。

その中にこそ、幸せがある。

仙人草 白鬚揺らす 秋の風

仙人草は和風クレマチスと言われている

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ランキング参加中です。ポチリと応援お願いします。

このエントリーをはてなブックマークに追加にほんブログ村 主婦日記ブログへにほんブログ村 旅行ブログへ
PVアクセスランキング にほんブログ村
幸せのネタ帳 - にほんブログ村

hobby
スポンサーリンク
この記事をシェアする
きょうをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました