道楽で富士山に登る人
当然の流れである。
先日、富士宮市の須藤市長が登山者の救助費用の自己負担について言及したが、富士吉田市の堀内市長もこれに賛同を示し、改めて費用の自己負担についての考えを述べた。
※讀賣新聞
富士山閉山中の遭難者救助を有料に――。そんな議論が、にわかに熱を帯びてきた。富士吉田市の堀内茂市長は13日、遭難者が救助費用を自己負担する制度の整備を県などに求める考えを示した。静岡県で先月、数日間で同一人物が2度救助された事案を受けたもので、この日は静岡県知事も有料化に言及した。救助隊員の命を脅かす救助活動は以前から問題視されており、今後の展開が注目される。
富士山では4月22日、山頂付近にいた中国籍の20歳代の男子大学生から、体調不良で下山が困難になったと救助要請があった。
山梨県の防災ヘリが発見して救助されたが、4日後の26日、同じ大学生が再び富士山で遭難。富士宮ルート8合目付近で体調不良となっているのを別の登山者が通報した。最初の遭難で置いてきた携帯電話などを取りに戻ったのだという。
この事案を受け、閉山中の救助活動に苦言を呈したのは、麓の静岡県富士宮市・須藤秀忠市長だ。9日の定例記者会見で、「救助費用を遭難者の負担にするべきだ」と力を込めた。
堀内市長も13日の定例記者会見で、この考えに賛同を示し、「『登らないでください』という警告という意味での有料化」と強調。「救助は命がけ。趣味や道楽で登る人らをなぜ公費で救う必要があるのか」と批判し、今夏のシーズン終了後にも、静岡県側と連携して、自己負担制を求めていく考えを示した。
県警によると、富士山の山梨県側では毎年数件~10件程度の遭難が起きているが、閉山後に軽い気持ちで山に入り、救助されるケースも多い。昨年は閉山期間中に7件の遭難が発生。3月にはドイツ国籍の20歳代男性から救助要請があり、6合目で県警ヘリが救助した。男性は普段着に近い格好だったという。
奇しくも5月13日には、北海道羊蹄山で、イギリスからの観光客カップルが、半袖・短パンで雪山に登山…9合目で「寒さで動けない」と110番通報し警察のヘリで救助されるというニュースも伝えられたばかり。
日本に税金を払っていない外国人観光客の無謀な行動のツケを、公費で賄うのはどうしても納得がいかない。政府も闇雲にインバウンドを呼び込むだけでなく、急増する外国人によるトラブル回避に早急な法整備が必要ではないだろうか。
もちろんこれはインバウンドに限ったことではなく、冬山登山などリスクの伴うレジャーに関しては、罰則、罰金を含めた厳しい対応をするべきだろう。

わたし個人的には、レジャーとしての登山による遭難の救助費用は本人に実費で請求されるべきで、そうすることによって一定の抑止の効果も期待出来ると考えている。また登山者はこういった事態に備え、必ず保険に入り自分の命は自分で守るべき。
しつこいようだが、これは価値観の相違とかそういう問題ではなく、完全なる自己責任の範疇で語られるべきこと。
言葉の暴力
最近とても気になっていること。
それはある方のブログ記事において…言葉の暴力が止まらないことだ。
具体的に言うと、わたしは花を愛する者なので特に“花についての発言“が目に余るものがあると感じている。
今巷を騒がせているのは、文春砲に端を発する『永野芽郁と田中圭の不倫疑惑』だが、わたしはそれより少し前に報じられた『とんねるずの石橋貴明』の過去のセクハラについて、当時リアルタイムで彼の番組を観て不快に感じ、それがきっかけでバラエティ番組を見なくなってしまったことを思い出した。
あれは本当に当時の視聴者感覚でみても相当酷いものだった。今では考えられないことだが、『とんねるずのみなさんのおかげです』の「近未来警察072」というドラマ仕立てのコントで、石橋は松嶋菜々子に馬乗りになり、性行為を連想させる動きをしたり、卑猥な言葉を無理やり言わせたりとやりたい放題だった。しかし、当時はそれが笑いのネタとして認知されていて…結局立場の弱い者はされるがままで泣き寝入りという構図がずっと繰り返されてきたのだ。
まあそれと比べたらはるかにマシな話ではあるが、それでもわたしには看過出来ないと感じているのだ。ここで『嫌なら見るな』や『これは個人の感想ですよ』というアドバイスは受け付けない(笑)
ある人の発言はこうだ。
『ボケの赤ってちょっと垢ぬけない色だと思っていたけれど、こんなにたくさん植えてあると鮮やかでハッとする美しさだ。』

『花はとってもかわいいんだけれど、やっぱり葉っぱがないと下半身が貧相に見えるよなぁ。』
『こちら花の蜜を食べるスズメさん。
千切っては蜜を吸って花は捨てる。ポトリポトリ花が落ちてくるのが何とも風情がある。』
いくら個人の感覚だからと言っても、ブログという世界に開かれた空間で、褒めるならともかく、このように“対象を貶める発言“をするのは如何なものかと思った。
以下…これはわたしの個人的感想なので、お見苦しい点がありましたら申し訳ございません(笑)
ボケの赤が垢抜けない…は?ボケの赤って、わたしはむしろ今流行りのくすみカラーって感じで、むしろ垢抜けていると思うけど。ちなみにわが家の裏庭には、同じ色味のツツジが咲いているが、ありきたりな色でないのでとても気に入っているけどなぁ。仮に、あの方がうちの前を通りかかったら、『あのツツジの色はなんて垢抜けない色なんだろう。こんな垢抜けない色のツツジを植えているなんて、この家のセンスったらないよね(* ´艸`)』などと笑い者にされてしまうのだろうか。
葉っぱがないと下半身が貧相…なんだろ?こういう表現って、ある種の笑いを誘っているつもりなのか…だが、この花は生まれついてこういうカタチなのだから、それを“ユニーク“と捉えず、“貧相“と決めつける感性こそが“貧相“に思える。
そして最後に…花の蜜を吸っては捨てるスズメ…わが家のボケの花(ちなみに赤ではなく絞り)がこの被害に遭っている。朝起きて、無惨に落とされた花を見た時の衝撃と言ったら…言葉では言い尽くせないものがあったけれど。つい最近も、明日収穫しようと楽しみにしていた苺が食い荒らされたり、近頃では、お散歩わんこの被害より、鳥による被害のほうが甚大である。なので、申し訳ないが、“ポトリポトリ花が落ちてくるのが何とも風情がある“などと感じることもないし、そういう感性の方とは絶対に相入れないと思う。
さて、この記事を読んだ皆さまはどのように感じるかな?おそらく…『この方は、法を犯してもいないし、他人に迷惑をかけてもいないのだから、寛容な心でみてあげればいいじゃない?』とでも言うのだろうか。
でもそれって、石橋貴明が松島菜々子にしたセクハラコントを見て、笑い転げた“昭和なセクハラオヤジたち“と同類に思えるのはわたしだけではないはず。
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