これもブロガーのサガなのか。おそらくYouTubeとかインスタの投稿者さんに比べると、書くことの比重が大きいので、ちょっとした言葉の使い方が気になって仕方ない(^_^;)
昨日は、ミュージカル好きの端くれとして…オーストリアから勲章まで貰った井上芳雄くんを知らないと言い放ち、コメ欄でも『〇〇 >Pさん どこら辺を基準にサインをさせてもらえるんだろうね~。日本人俳優なんてウイーンじゃ無名じゃない、自己申告??』などと失礼なことを仰った〇〇さんに少なからず憤ったので、その点だけに絞って語ってしまったけれど、実はあの件、もうひとつ気になった点があった。
サイン部屋なので席の横の壁には假屋崎省吾さんのサインが(笑)あと日本人はちょっと存じ上げない井上芳雄さんとか。
探せなかったけれど米倉涼子さんのサインもあるらしいよ。
井上芳雄さん、米倉涼子さんの件には、(笑)がついていないのに、どうして假屋崎さんには(笑)がついているんだろうって(・・?)
わたし自身もわりとブログ上で(笑)を使うが、ニュアンスとしては、文末で語気を和らげる意味で使うことが多い。
たとえば、「あなたは嘘つきだね」と言うより「あなたは嘘つきだね(笑)」としたほうが幾分か“嘘つき“の成分が薄まるみたいなニュアンスになるかなって。
しかし今回の場合は、假屋崎さん、井上さん、米倉さん全員について(笑)が掛かっている訳でなく、明確に假屋崎さんのところに(笑)がついてるでしょ?
なので細かいところがとても気になるわたしからすると、それがどうにも気になって仕方がないのだ(笑)
以下の解釈はあくまでわたしの一方的な考えとご笑覧くだされば幸いなのだが…
わたしはこの件を見た時に、率直なところあまりいい印象を持たなかった。というのも、〇〇さんは、そのあとに登場する“井上“さんのことはちょっと存じ上げない方だから特別な感情が働いてないのは分かる。“米倉“さんに関しては、“ちょっと存じ上げない“と形容していないので、ドラマかCMなどで多少は知っているのだろう。しかし假屋崎さんに対しては、あえて(笑)とつけているということは、何かしら彼女にとって(笑)をつけたい理由があったということになる。
でこの理由は何かしら?と考えるとこれまたさまざまなケースが考えられるのだが、ここでまたこれまでの彼女の発言を思い出してみよう。
(クリムトの私生活を論い)乱れた女性関係とかね、作風に関係するのかもしれないけれど知らんおっさんの公序良俗に反する生活、興味ないなぁ。
偏見だけれど、芸術家ってお酒ダラダラ飲んでたむろっていそうな感じよね。
どこら辺を基準にサインをさせてもらえるんだろうね~。日本人俳優なんてウイーンじゃ無名じゃない、自己申告??
きのう不覚にも感情を露わにしてしまったばかりにも関わらずだが…このお◯さん、何様なんですかね。芸術家(大先生から自称まで様々だが)をそこらの飲み屋でクダまいてるおっさんたちと同一視してるのかしら?
でもねクリムトは…〇〇さんには「ただの知らんおっさん」かもしれないけれど、これ、わたしだけの思い込みと思われるのは不本意なので、AIさんに聞いてみた。そしたらこんな回答が返ってきた。
クリムトの作品に対するオーストリア国民の感情は、一般的に非常に愛着と誇りに満ちています。彼の作品はオーストリアの象徴として、また世紀末ウィーンを代表する芸術家として、広く認識されています。特に「接吻」などの代表作は、世界中で愛されており、オーストリア国民にとっても誇らしい存在です。一方で、彼の作品に見られる官能的な表現や装飾的なスタイルは、一部で議論の対象となることもあります。しかし、全体としては、クリムトはオーストリアの重要な文化遺産として、国民から尊敬と愛情をもって迎えられています。
まあこんなこと言うまでもないことだと、ごく普通のありふれた美術愛好家のわたしでも思っていたことだが、音楽と芸術の都、ウィーンひいてはオーストリアの大半の国民にとって、クリムトは尊敬と親しみ、そしてオーストリアの誇りだと捉えられている筈だ。
そういえば〇〇さん、プラハの旧市街を散策した時にこんなこと仰ってませんでしたっけ?
ガイドさんに連れられ城壁を出て石段や石畳の坂道を下り旧市街へ。
やっぱりこういう市民の生活の場が楽しいなぁ。
とするなら、ウィーンを訪れる観光客ばかりでなく、そこに住む市民にとってもいつも身近に音楽と芸術があって、それが生活の場にもなっているのではないだろうか。
そして旅人は常に、『郷に入っては郷に従え』の精神を持って、訪れた土地の文化や習慣を敬意を払い尊重するのが当然のこと。その心なくして、旅をする資格など無いと言い切っても過言ではないだろう。
あはは。また頭に血がのぼって来たので、落ち着け(笑)
まあとにかく、〇〇さんって何者なのか知らんけど、いつも偉そうよね。だってあのクリムトを知らんおっさんって言うわ、芸術家を飲んだくれ呼ばわりするわ、日本人俳優なんて…って、常に上から目線じゃない。
でそんな一連の流れの中での『假屋崎省吾さんのサインが(笑)』だからね、それって一体どんな含みを持たせてるのかしらって…もやもやしてる訳なのよ(^_^;)
知らない人はいないと思うが、假屋崎さんのプロフを見ると、彼の職業はフラワーアーティストで華道家となっている。
〇〇さんはわざわざ“好まない“と仰っていたけれど、オーストリアには、バロック様式を代表する美しい庭園が数多く存在する。中でも、シェーンブルン宮殿庭園とベルヴェデーレ宮殿庭園は特に有名で、それぞれ異なる魅力を持つ。特に〇〇さんがお気に召さなかったベルヴェデーレ宮殿の庭園は、『バロック造園技術の最高峰と評される庭園』で、鏡の池が宮殿を映し出す様子は圧巻だと言われている。
余談だが、シェーンブルン宮殿は、当初はヴェルサイユ宮殿に負けず劣らずを目論んで設計されていたようだが、わたしは冬にヴェルサイユ宮殿を訪れたことがあって、一応その庭もさらっと見学することが出来た。

でも当時はガーデニングに全く関心がなかったので、いつか花や緑が鮮やかな季節にもう一度行けたらいいなと思っている。

〇〇さんは好まないというけれど、植栽そのものがまるでアートのようで、ガーデニング好きとしては1日歩き回っても飽きないぐらい魅力的に映るのだが。こんなことを言ってはなんだが、『この美しさを好まない』ことに、一体どんなメリットがあるというのか。
だから、日本のフラワーアートの第一人者である假屋崎さんがウィーンを訪れるのは当然のことだろう。で、はからずもだが、彼も押しも押されぬアーティストの一員である。でも少なくとも彼が、お酒飲んでたむろってる姿なんかあまり想像出来ない。
彼は10代の頃はピアニストを目指していたこともあり、クラッシック音楽を好む。舞台美術を手掛けることはもとより、音楽会での演奏家とのコラボレーションとして、演奏とともに舞台上で花を活けることも多い。そして料理も得意でレシピ本なども手掛けている。
花を活ける上でのモットーは、「空間に調和しながら自己主張もし、違和感のない空間芸術をつくること」。このことから、一部マスメディアから「美をつむぎ出す手を持つ人」とも評されている。
美輪明宏さんを「人生の師匠」と評していて、美輪さんの舞台を何度も観に行ったことが縁で、その後自身の本を発表する時に推薦文をいただくなど交流を続けている。また、美輪さんからは「あなたには豊臣秀吉の絢爛豪華さと、千利休の侘び寂びがある」と言われたこともあるとのこと。
であるから、〇〇さんが何をもって假屋崎さんのサインを見つけた時に(笑)とつけてしまったのか、わたしには全く想像もつかないのだ。
なぜ、米倉涼子に(笑)をつけなかったのかしら?名前を見つけられなかったから?いやいや、一応はっきりとは認識していなかったとしても、モーツァルトやベートーベンにも(笑)をつけてはいなかった。
ということからしても…わたしはなんとなく〇〇さんの(笑)にはあまりいい感情は含まれていなかったのでは?というそんな気がして仕方がないのであった。
まあいずれにしても、わたしの毎日の暮らしは、朝起きて庭木の水遣りで始まり、夕方に水遣りで締めくくるというものなので、假屋崎さんのことは、いろいろな意味でとても尊敬している。当然ながら、その方のサインを見つけたとしても喜びこそすれ、そこに(笑)という文字はつけないと思う。
ところで今、朝晩水遣りに追われている話をしたが、本当に今年の夏の暑さは尋常じゃない。でもしか…日々地道な努力の甲斐あって、庭の花も野菜も木も健気に頑張ってくれている。今日の〇〇さんの記事で、メロンとスイカの話題が出てきたが、わが家でもスイカとメロンを育てている。メロンはコンポスト堆肥から勝手に発芽したので品種は不明だが、ネット系メロンであるのは間違いない。
北海道は様々な農産物が採れるので、〇〇さんもいつも美味しいモノを召し上がっているようだが…多分家庭菜園をされている方は皆さんそうだと思うけれど、自分の庭で収穫出来たものより美味しいものなど無いと思っている(^^)

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