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【日本初公開作品は76点】ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展に行ってきました・続き

昨日に引き続きピカソとその時代の展示の模様をお伝えします。

ドラ・マール

現在、西洋美術館の入り口付近にはこんな看板が掲げられています。この絵が緑色のマニキュアをつけたドラマールです。

ドラ・マールは、当時新進気鋭のシュルレアリスムの写真家として活躍している女性で、ピカソとは彼の友人の詩人ポール・エリュアールに紹介されて知り合いました。ほどなくしてドラはピカソのパートナーとなり、新たなミューズとして彼の創作意欲掻き立てる存在となります。

◆緑色のマニキュアをつけたドラマール◆

ドラはその日の気分に合わせて青や緑、赤や黒といった奇抜な色のマニキュアを塗っていました。それが彼女のチャームポイントとして友人たちの間でよく知られていたそうです。

この絵はピカソからドラに贈られ、その後ふたりの関係が終わってからも、彼女はその絵を手放すことはなく、リビングルームの暖炉の上に飾られていました。

緑色のマニキュアをつけたドラマール

◆女の肖像◆

女の肖像

◆黄色のセーター◆

この絵の圧倒的な魅力はどこにあるのだろう?セーターの鮮やかな、艶のある黄色を、帽子やフリルの涼しい青や緑と対比された色調のせいであろうか?それとも、モデルになった愛人ドラ・マールの、高貴で、同時に夢想的で、しかも彼女が現れる前の恋人であったマリー=テレーズとどこか似通った顔つきのせいだろうか?それとも、左手の指の鉤形の爪がゲルニカを想起させるからだろうか?

ベルクグリューン

画像でみてもかなり印象的な作品ですが実際に観ると、この絵に魂が抜かれてしまうような不思議な魅力を纏った作品でした。

ベルクグリューンは、彼の美術館の顔ともいえる本作のために、アンカンサスの葉をダイナミックに彫り込んだ、金塗りの17世紀後半のスペイン製の額を用意しました。

もちろん本作も本邦初公開になります。

黄色のセーター

◆大きな横たわる裸婦◆

閉ざされた部屋の中で、裸の女性が処刑台のようなソファの上に横たわります。彼女の痩せた身体はねじれ、両脚は死を意味する骨の紋章のように交差しています。彼女は眼を閉じて眠っているようにも見えますが、固く握りしめられた両手は、眠りの中でさも苦痛から解放されないことを物語っています。戦争という時代の感情を象徴し、時代を超えて共感を呼ぶ作品です。

こちらも本邦初公開。キャンバスの大きさも129.5×195センチになる大作です。

大きな横たわる裸婦

パウル・クレー

パウル・クレー(1879~1940)はスイス生まれの画家です。彼の非常に個性的な様式は、表現主義、キュビスム、シュールレアリスムを含む芸術運動に影響されました。クレーは自然のデッサンに優れた画家であり、色彩理論を深く探究し、それについて広範に書いています。彼の講義「形式とデザイン理論に関する文書」は、「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論」と同じく現代美術にとって重要であると考えられています。

クレーはもともとドイツ表現主義者のグループ「青騎士」と関係していました。このグループの教義には、表現力豊かな色の可能性への関心と、音楽、精神性、民俗芸術との関係が含まれていました。その後、彼はロシアの画家ワシリー・カンディンスキーとともに、バウハウスの美術学校で教鞭をとりました。

クレーの多様な作品は、単一の芸術的な動き、すなわち「派」や「主義」に基づいて分類することはできません。乾いたユーモアと、時には子供のような視点、個人的な気分や信念、音楽性を反映しています。彼の作品は、ニューヨーク・スクール(抽象表現主義者のグループ)、そして20世紀の多くの画家たちにインスピレーションを与えました。

◆夢の都市◆

バウハウス着任の年に製作された本作は、水彩による透明な幾何学的フォルムが多層的に重なり合い、色調を変化させて移行する抽象的な画面を特徴としています。

こうした作品は、主題を各声部が追走する多声音楽を想起させることから「フーガ」と呼ばれています。幼少期から晩年までプロ並みの腕前でヴァイオリン演奏を嗜み、バッハやモーツァルトをこよなく愛したクレーならではの音楽的な造形です。

などと言った解説を抜きにしても、クレーという画家の作品は、心に暖かい風を運んできてくれます。側で鑑賞していた多くの若い女性たちも、とにかく「可愛い」を連呼していました。

夢の都市

◆黄色い家の上に咲く天の花〈選ばれた家〉◆

空へと向かって葉を広げ、天辺で大らかに花を咲かせる植物は、よく見ると、黄色、灰色、緑色をした簡素な家々の切妻屋根から伸びています。

無機質である建築がいつしか生命的な植物に変容するという、いかにもクレーらしい自由な想像力に溢れる水彩画です。画材は当時彼が兵役に服していたこともあり、厚紙に地塗りをした飛行機用亜麻布が使用されています。

◆青の風景◆

本邦初公開でもあるこの作品。クレーが本作を手掛けた第一次大戦期は、画家としての評価が一気に高まった時代でもありました。

兵役中であってもクレーの創造意欲は衰えることはありませんでした。ある冬の日、近くの川辺を散歩して気分転換をしていた時の出来事を、妻リリーに宛てた手紙に綴っています。

風景は硫黄のような黄色に沈み、ただ空模様だけが深い、深い群青に至るまで碧青だった。牧草地にはすでに緑の草が生い茂り始めている。黄色、真紅色、それに紫の枝々もある。

クレーから妻リリーに宛てた手紙より

細い筆先を駆使して置かれた色とりどり斑点や短い線の交差が見飽きることのないリズムを画面にもたらしています。戦時中というある種の極限状態の中にあるからこそ、ありふれた風景でさえもキラキラ輝いて見えるのでしょう。

わたしは今、暖炉の前のロッキングチェアーに揺られながらこの絵を眺めている、そんな光景を頭に思い描いています。

青の風景

◆中国の磁器◆

こちらも本邦初公開。石膏ボードに木枠を付した本作では、それぞれの素材特有の質感が作品を特徴づけています。とくに、硬質でもあり脆くもある石膏の特質が磁器というイメージに繋がっています。

この画面は特徴的な相貌の人物と記号的なモティーフによって構成されています。これは西洋とは全く異なる言語文化圏である中国が、クレーにとっては一貫して記号的イメージを触発し続けたことを表しているのです。

中国の磁器

◆時間◆

1933年以降、政情が厳しさを増す中、クレーはデュッセルドルフ美術アカデミーを解雇され、ドイツを去ることを余儀なくされました。その後クレーは故郷ベルンで晩年をすごすことになります。そんな困難で苦しい時代だったからこそ、黄麻、ガーゼ、イラクサ布、旗用の布、ダマスカス織布、新聞紙など絵画には珍しい素材があえて使われることになったのです。

本作もそのような1点で、合板に石膏で下地を施し、ガーゼを層状に貼り、ワックスを施した水彩絵の具で描かれています。あくまで絵画という形式を取りながら、はからずもコラージュ的特性までも持ち合わせています。

ガーゼと石膏が醸し出す独特な質感から、それらの物質が時とともに朽ちていく様を予感させ、時計の針が示唆する時間は、過去から未来へと進行する物理的時間を想起させてくれます。

わたしはなぜかとてもこの作品が気になりました。それはきっと、自らにとっての一日一日が刻む物理的時間と宇宙的な循環する時間の双方を併せもつとても味わい深い作品だからです。利休のわびさびにも通じるようでもあり、この絵が“しつらえ“として置いてあるような茶室でお茶を点ててみたいなどというイメージがわいてきました。

時間

◆子どもの遊び◆

1930年代のクレーは、水彩絵具、パステル、油彩絵具の発色や性質の変化を狙って、それらの顔料に糊を混ぜ、特製のいわゆる糊絵具を使用するようになります。

そのような糊絵具に加えて水彩絵具を併用した本作では、黒く太い棒状フォルムと赤で置かれたアクセント的なモティーフが画面を覆う黄調の色彩からくっきり浮かび上がっています。

一見すると、無邪気にひとり、外遊びに耽る少女がいるようにも見えますが、左手を画面の外まではみ出して、何かを掴もうとしているのでしょうか。この少女の意識は、ここにあるようで実はこの画面の外の世界にむかっているのかもしれません。

子どもの遊び

あとがき

いかがでしたか?今回はパブロ・ピカソが描いた女性と、パウル・クレーの世界をほんの触りだけですが覗いてみました。

最後に、スイス・ベルンのショースハルデ墓地にあるパウル・クレーのお墓にはこんな言葉が刻まれています。

この世では理解されることのない私。
私はまだ生まれざるものと同じように死者たちのもとに住んでいるからである。
創造の核心には普通よりもやや近く、しかし、まだ道ははるかである

パウル・クレー

芸術家の孤独は、凡人には到底理解することが出来ない領域ですが、凡人なりに理解しようと努めることこそが美術鑑賞の醍醐味なのかもしれません。

明日も続きます。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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