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【国立西洋美術館】マティス、ジャコメッティそして再びピカソ

今回もまたまたつづきです。

アンリ・マティス

アンリ・マティス(1869〜1954)はフランスの画家、ドローイング作家、彫刻家。大胆な色使いや素描が特徴のフォービスム(野獣派)と呼ばれる活動の先駆者であり、独自の色彩を駆使した作品から「色彩の魔術師」の異名を持ちます。

自然を愛していたマティスはそこから多くのインスピレーションを受け、その感覚や感情を色彩を通して直感的に表現する方法を磨き続けました。

同時期に活躍したピカソが形体(フォルム)の表現に革命を起こしたとすれば、マティスは色彩表現を現実のものから解放した人物といえます。

晩年は色紙を切り貼りした切り絵(カットアウト)で壁画レベルの巨大な作品を制作して評価を高めました。

後世の芸術家への影響は大きく、かのアンディー・ウォーホールは「マティスになりたかった」と話していたとか。他にもマーク・ロスコやクレメント・グリーンバーグなど抽象表現主義の作家たちにも大きな影響を与えました。

◆ニースのアトリエ◆

マティスは、ニースのシャルル・フェリックス広場1番地の建物の最上階にアトエを持っていました。このアトリエは海に面した広い窓とバルコニーのある部屋で、壁は白いタイルのようなパターンで覆われていました。

画面右手には大きなカンヴァス、若しくは鏡が置かれ、そこには窓外の海の色とつながる薄いブルーとベージュ、そして下半分を覆う茶色っぽい色面が層をなし、抽象画のような表面をなしています。左手の窓辺のテーブルと椅子には後ろ向きに人物が座っています。ここに人物はいるものの、画面の中心は空虚であり、その室内自体と窓外の光景が画面の主役になっています。このアトリエにおいて、マティスはやがてより単純化され、平面化された造形へと向かってゆくことになるのです。

ニースのアトリエ

◆青いポートフォリオ◆

赤を基調とした画面と対をなすように、ピンクの椅子に置かれ閉じた青いポートフォリオがこの絵の主題になっています。手前のモデルの顔は描かれておらず、それはその相貌を見る者の想像力に委ね、普遍的なものとすると同時に、人物の存在を室内の一部へと溶け込ませているのです。

青いポートフォリオ

◆雑誌『ヴェルヴ』第4巻13号の表紙図案◆

こちら本邦初公開作品。

美術に関わる重要な出版活動で知られるテリアードが発行した美術雑誌『ヴェルヴ』のための表紙をマティスは切り紙絵によって、1937年の創刊号を含め6点ほど制作しています。本作は13号のために制作したマケットのひとつで、最終的には緑の地と白の人物や文字による二色のみを用いたヴァージョンが採用されました。

雑誌『ヴェルヴ』第4巻13号の表紙図案

◆縄跳びをする青い裸婦◆

マティスは、1952年に入ると、青い単色の切り紙絵によって多くのヌードを制作しています。その中にはアクロバティックなポーズをとったり、本作のように運動する身体が表現されているものも含まれていました。また本作では脚などの部分に青い色片を組み合わせて形が構成され、足の付け根は青い紙の隙間がなす白い地によって輪郭が取られています。

縄跳びをする青い裸婦

これらの作品を見ていたらふと、ニューヨーク近代美術館で観たこちらの作品を思い出しました。本作は、大きさが約2.6×4mもあるかなり巨大なものでした。

ダンス I ニューヨーク近代美術館にて撮影

色彩の魔術師と呼ばれたマティスでしたが、晩年、彼がたどり着いたのは、ブルーヌードに象徴されるような精神的境地の深さだったのではないでしようか。

わたしは、これらの作品を観ながらふと、宮本武蔵の著者「五輪書」に由来する万里一空という言葉が浮かんできました。

万里一空とは、世界のすべては同じ一つの空の下にある、という見方を表す表現である。どこまで行っても同じ世界だと、冷静に物事を捉える精神的境地を指す。転じて、どこまでも同じ一つの目標を見据え、たゆまぬ努力を続けるという心構えを表す語として引用されることも多い。

実用日本語表現辞典

アルベルト・ジャコメッティ

アルベルト・ジャコメッティ(1901〜1966)は20世紀を代表する彫刻家の一人です。彼の作品は、特にキュビズムやシュルレアリズムなどの芸術様式の影響を受けています。人間の状態についての哲学的な疑問、実存論的、現象学的な議論が彼の作品に重要な役割を果たしていました。

ジャコメッティは、昔から公共空間での彫刻制作への野心をずっと抱いていたものの、一度もニューヨークに足を踏み入れたことはなく、急速に進展する大都市での生活について何一つ知っていたことはありませんでした。ジャコメッティの伝記作家ジェームス・ロードによると、ジャコメッティは生涯において摩天楼の超高層ビルを見たこともなかったのだとか。

彼の終生の住居兼アトリエがあったイポリット・マンドロン通りは、当時のパリの中でも貧しい界隈であり、小さな工場や材木置き場が立ち並んでいるところでした。ジャコメッティは、裕福になってからも、住居とアトリエを変えることはなく、小さな村の貧しいアトリエを使っていました。

彼は生前次のような言葉を残しています。

小さな空間さえあれば。非常に大きな作品を作る時でもそうだ。大きな作品を作るために大きなアトリエがいるという人がいるが、それは間違っている。大きな作品のために必要なものは小さな作品のために必要なものと全く同じだ

アルベルト・ジャコメッティ

◆広場Ⅱ◆

本作、ジャコメッティ独特の細いフォルムもあり、会場の中央に展示されている為にどうしても人が映り込んでしまいます。しかし、この会場にいる人物の動きと作品の対比をみてわかるように、まるで本物の人間のミニチュアがそこにいるかのような臨場感が感じられるから不思議です。

ジャコメッティは「いつも私は女を不動のものとして作り、男は歩んでいるものとして作る」と述べています。

ということから、板状の台の上に5人の人物が配置されていて、うち4人の男たちはそれぞれが独歩しています。人々が行き交う街の広場で偶然に生成した、一瞬のコンポジションを切り取ったような群像です。

広場

◆ヴェネチアの女Ⅳ◆

ヴェネツィアの女は、ジャコメッティのキャリアの中で最も重要な連作のひとつに挙げられています。

ある時、この細長く作られた彫刻作品を見た人が痩せすぎでしょうというと、彼は「人体の空虚さを表すとこうなるんだ」と答えたと言われています。

ジャコメッティが「見える通りに」というのは実はその見えた外観の通りに表面的に表現するということではまったくなく、人間の空虚さや弱さも含めた人間の姿で、それは自ずと目に見えてきてしまうようなものだから。それをキャッチして表現したのがジャコメッティの作品なのです。

ヴェネチアの女Ⅳ

◆ヤナイハラI◆

日本におけるジャコメッティの受容において重要な役割を果たしたのが、本作のモデルとなった哲学者の矢内原伊作です。

ことしはきみの顔を彫刻でやろう。わたしがパリに着くとすぐに彼はそう言い、粘土で私の胸像を作りはじめた。これまで私をモデルのにして彼が試みたのは油絵だけだったから、その写生彫刻の実際にわたしははじめて立ち会うことになったわけだ

矢内原伊作

ジャコメッティの指あとが生々しく残る胴体にやや面長な顔立ち、そして彫刻の求心力はやはり頭部にあります。作家のとりわけ念入りな作業のあとがみて取れる大きな眼窩の奥にある眼、とがった鼻が強く印象付けられています。

ヤナイハラI

◆男◆

ベージュに塗られた画布の上に、灰、黒、白といった色調の絵具が複雑な層を成し、画布を一回り小さく規定するかのような、まるで窓枠あるいは額縁にも似た囲みの中央、座るモデルと空間の関係を捉えるためか、人物の背後に縦・横・黒い線が多数にひかれています。

彫刻であれ絵画であれ、ジャコメッティが捉えようと腐心したのは何よりもモデルの頭部、顔、まなざしでした。

彫刻とはまた違ったアプローチで、彼の作家としての取り組みが濃密に現れた作品といえるでしょう。

ピカソの彫刻と後期の作品

◆鶴◆

身の回りにあるありふれた素材を使ってまったく別のものを生み出し、素材と例えられた形象の両方に新たな発見を促す…本人の言葉を借りるならば「比喩を用いて現実を示す」という立体制作における試みが、本作でもなされています。

この作品の制作に繋がったのは、ピカソが鶴の尾羽にそっくりなシャベルを見つけたことだったとか。身近な廃材がその形を残したまま別のものに姿を変えるという知覚の転換を目の当たりにすることが出来ます。

これは他の作家にも言えることですが、本当の天才の仕事をみることは、忘れ去られていた自分自身の知覚を呼び覚まし活性化させる作用があるのです。

◆アルジェの女たち(ヴァージョンL)◆

1954年11月3日、ピカソは画家のアンリ・マティス逝去の報せを受けます。長年の友人であり、互いに刺激を与えあったマティスの死はピカソに大きな衝撃を与えました。約1ヶ月後、ピカソは、ウィジェーヌ・ドラクロワによるアルジェの女たちを元にした連作の制作に着手します。オダリスクは、マティスがその生涯を通して好んで描いた主題でした。本作はこのうちの12番目に位置付けられています。

キュビズム的な断片化された身体と、モノクロームの陰影が、水タバコのパイプを携えて正面を見据えるオダリスクの威厳あふれる姿をまるで肖像画のように見せているのです。

これらの作品を制作を通して、ピカソはマティスに今生の別れのメッセージを送っていたのでしょう。

アルジェの女たち(ヴァージョンL)

◆闘牛士と裸婦◆

本作はピカソがまもなく89歳になろうとしていた頃の作品です。最晩年のピカソは、画面に大きく男性の半身像を描いた作品を数多く残していました。

素早い筆致や、赤と青のコントラストが強烈な印象を与え、画面全体に活力を与えています。

その衰えることのない創作意欲の輝きは観るものを圧倒します。

闘牛士と裸婦

長寿日本一になられた方のインタビューで、粗食というより寧ろ肉を好んで食べているなんてことを聞きます。ピカソ最晩年の本作も、いかにも肉食な雰囲気が伝わってきて微笑ましく感じられます。

この世のあらゆる欲を否定するどころか積極的に肯定する潔さ。これこそが心身共に健康に生きる秘訣なのかもしれません。

企画展の紹介は一応これで終わります。

次回は、常設展でお会いしましょう。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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