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【Eテレ 日曜美術館】放送直前 ルドンさんに会いにいく

母の日に娘①から貰ったのは、現在パナソニック汐留美術館で開催中の

『オディロン・ルドン ―光の夢、影の輝き展』

のペアチケット♪

なんでもわたしが送った花の寄せ植えの写真を見て、「ルドンの絵みたい」と思ったのがきっかけだったとか。そして彼女自身も既にアート好きな友人とこの展覧会に行って大層気に入ったらしい。

尤もチケット自体は4月の下旬ぐらいにフライングで貰ってはいたが、今月(5月)連休中は何かと忙しく、連休明けにはニアのお預かりもあったので、来月(6月)にママ友を誘っていけばいいかと思っていた。

だが来月、急に思い立って、ママ友と松竹創業百三十周年 尾上菊之助改め 八代目 尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め 六代目 尾上菊之助襲名披露 六月大歌舞伎を観覧することになった。

なので、ちょっとスケジュール的に厳しくなったと思っていた矢先に、娘①から、「来週の日曜美術館でルドン展が放送されるからその前に行ったほうがいいよ」と連絡があった。

娘①曰く、日曜美術館で放送されると一気に激混みになるようで、2度ほど行きそびれた美術展があったらしい。

そうなるとわたしは、今週四谷詣の帰りに行けば何とかなるが、あまりに間際すぎて友人たちを誘うのも憚られたので、来月父の日もあることだし、ここは夫に行ってもらうのがいいだろうということになり、まず先に夫が観覧してきた。

ちなみに夫もなかなかのアート好きで、藤田嗣治、マグリット、ロートレックなどがお好みのようだ。しかし予習で美術系YouTuberの動画をみたときは彼的には今ひとつといった感じだったが、実物を見たら満更でもなかったらしく、ポストカードを2枚お土産で入手してきた。

ということで、昨日四谷詣の帰りに新橋で途中下車して、ルドンさんに会いに行ってきた(^^)

この美術館はかなり制約が厳しく、本作はもちろんのこと、入り口の看板に至るまで撮影不可。出口のこの一画だけ撮影が許可されていた。

で結論から言って…ルドンの作品は、かなりわたしの心に刺さりまくりで、またもや図録のコレクションを増やすこととなってしまったσ^_^;

それにしても…ここまで撮影に厳しい展示は今どき珍しいかも。

おそらく入場もせず、看板の前で記念写真だけ撮って、「ルドン展行ってきました。最高でした!! 癒されました」などと投稿する人対策だ。

それぐらいならまだ可愛いもので、実物を見たこともない癖に、“好まない。ここに行く交通費や入場料がもったいない”などと難癖をつける人もいるな(笑)

まあそんな”捏造マニアの戯言”など完全に無視して、ここは騙されたと思って一度ホンモノを鑑賞されるといい。

特に、神話や妄想や植物に興味のある方なら絶対にハマること間違いなしだ。

あ、「そういうあんたも、図録買ってないんじゃね⁉︎」などといわれるのは本意ではないので、証拠写真をアップしておく(^^)

ついでに夫が買ってきたポストカードも載せておこう。この作品の題名は『野の花の花瓶』で、この図録の表紙で、出口の撮影スポットにもなっている。

ちなみにこのエリアの外がミュージアムショップになっていて、そこも扉で仕切られているが外部から入れないこともない。だが入場どころか、グッズを買いもしない人が写真だけ撮るというのは、まともな人の感覚ではあり得ないとだけ言っておこう。

さて本展覧会について、ざっくりご紹介すると…こちらは国内外の借用した作品とともに、岐阜県美術館が1982年の開館以来約40年間に収集してきた250点を超えるルドン作品が一堂に会する初めての企画となる。

そしてまだルドンをご存知ない方の為に。

フランスの画家オディロン・ルドン

彼は鮮やかな色彩と象徴的なイメージを用いた独特な画風で知られている。初期の作品は暗く不気味なものばかりだったが、結婚を機に画風が大きく変わり、明るい色彩と美しい花をモチーフとした作品を描くようになった。しかし、同世代のモネやルノワールが名声を得るのとは対照的に、ルドンは40代半ばまで無名な地方の画家だった。だがのちに、孤独の中で独自の作品を描く「孤高の画家」として知られるようになった。

彼の代表的な作品だが…この絵を見て何か思い当たることはあるまいか。

『エドガー・ポーに』I. 眼は奇妙な気球のように無限に向かう

ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるさんが、このルドンの作品を見たことで「目玉のおやじ」の着想を得たのだとか。

こちらも彼の代表作のひとつで、夫がこの作品のポストカードを痛く気に入って購入している。

笑う蜘蛛

あ、そういえば夫って何気にお坊ちゃん育ちなのかもしれない。彼の父方の祖父は戦前青山で画廊を営んでおり、戦時中疎開して現在の地に居を構え高校で美術を教えていたのだとか。残念ながら孫にその才能は引き継がれなかったようで、夫の絵は画伯レベルに留まる(^_^;)だがしかし、兄はバイオリン、自身はピアノを習うなど、当時としてはなかなかブルジョアな家庭だったと、古くからのご近所さんから聞いたことがある。

しかし、かと言って甘やかされて育った感はない。むしろ戦時中大変苦労をした世代の親に育てられたこともあり、好き嫌いなどもってのほか。当時一番人気の野球を父親の熱血指導の下、無理矢理叩き込まれたとかなんとか。だが、その頃鍛えた肉体と精神があったからこそ、アラコキながら世界各地を自由に飛び回っているのではないか。

なのでお坊ちゃん育ちのみんながみんなステレオタイプの世間知らずで病弱で神経質なわがままなタイプという訳でない。…つまるところ、その人格を形成するのは”親の導くところ”によるのではないか。

おっと、著しく話が脱線してしまったが要は、本人の技量は”画伯レベル”であったとしても、幼少期から様々な芸術に触れたことは、彼の審美眼に大いに影響を与えたのは想像に難くない。

さて、ここからはわたしの好きな作品。

『ペガサスにのるミューズ』はルドンの幻想的な世界観と独特の色彩感覚が凝縮された1枚と言えよう。

ペガサスに乗るミューズ

ペガサスにまたがるミューズは、まるで夢の中から飛び出してきたかのよう。その優雅な姿と、背景の柔らかな色合いが絶妙にマッチし見る者に深い感銘を与える。

その色使い、鮮やかな色彩は、夢と現実の境界を曖昧にし、わたしたちを幻想的の世界へと誘う。

またこの作品は、ただの美しい絵画にとどまらず、ルドンが見せる”夢の断片”であり、内なる世界への招待状なのだ。この作品をじっくりと鑑賞することで、日常の喧騒を忘れ、静かな時間と深い感情の世界に浸ることが出来るのだ。

またこちらは、シェイクスピアの「ハムレット」に登場する悲劇の女性(オフィーリア)を描いたもの。
ルドンは、この作品を通して、人間の深層心理に潜む、”死への憧憬”や、”永遠の美への希求”の象徴を表現しようと試みた。

オフィーリア

そしてこちらは、わたしが個人的に印象に残った作品。

眠る猫

彼は美しい花やギリシャ神話をモチーフにした作品を数多く残しているが、どこか現実離れした背景の中に、いま目の前で眠る猫を写実的に描くことによって、その”生”をより際立たせることに成功している。

彼はこう述べている。

私の独創性とは、あり得ないものを本当らしさの法則に従って人間的に生きものとしたことであり、眼に見えないものを、見えるものの論理に従ってあらわしたことにあります

またわたしは、この猫をみて、ルドンの猫に対する”優しい眼差し”を感じ取ることが出来た。

これは彼が花を描く時も同様の感情が伝わってくる。

”優しさ”とは言葉ではなく、その人の視点を通して如実に映し出されるものかもしれない。

図録の巻末には、今回展示されなかった作品についても触れられていた。

『グランブーケ』は三菱一号館、『長首の壺の野の草花』はパリのオルセー美術館の収蔵で、確かに見かけたことのあるものだった。

その時は多くの有名作品の中のひとつとしてさっと流して観ていたのかもしれないが、”ホンモノ”の記憶はずっと脳裏に刻まれるのだ。

さて、母の日のプレゼントで貰ったペアチケットだが、結局、家族はそれぞれバラバラに鑑賞することとなった。がそれはそれで、おのおの図録を眺めたり、YouTube動画を観たりして、それぞれの感想を話して愉しむことが出来た。

たとえバラバラになろうとも、家族の絆は切れることがない。ひと前で手を繋いだり、ベタベタして仲良しアピールする必要もない。むしろそんな表面的なポーズを取ることに何の意味があるというのだろうか。

最後はルドンのこの言葉で締め括りたい。

ただ純粋に現実だけを描くというのには、賛成出来ない…大切なのは、見る眼の性質を知ることであり、愛好家-愛好家がいるならその人々に伝えようとする感情の源をさぐることであり…芸術家には、心臓(心・感情)がなければならない。それが、彼自身の心臓、目標、人間を見る見方を支配する。人生の誠実さがなければ、作品は生まれない

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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