以前、派遣会社の内勤で年末調整関連の仕事をしていた時のはなし。
わたしたちは円卓を囲み、日本全国のスタッフから送られてくる年末調整の書類に目を通し、不備をチェックしていた。
だんだん慣れてくると単調な作業に飽きてくるので、時々雑談を交えながら眠気をまぎらせていた。
その雑談の中で、ある人の言葉に非常に憤りを感じたものの、大人げないので反論する気にもなれなかったことがあった。
彼女は横浜市にお住まいの方で、最近新築のお家を買うことになったと嬉しそうに話していた。わたしは福島の郡山出身だが、大学が横浜だったこともあって割と土地勘はあるほう。
彼女のおうちは、相鉄線沿線の大和にほど近い某駅が最寄駅なんだとか。そして小さいながらも庭があり、趣味の園芸で楽しみたいと夢を語っていた。
まあそこまでは普通に微笑ましい話だったのだが、、、わたしは普段から”田舎(辻堂)からここ(横浜のランド◯○○T)に通っている“と言っていたので、、、その方、辻堂を本当に田舎だと思っていたらしい。
で、おそらく彼女、念願の一戸建てのお家を買ったことで舞い上がっていたのだろう。「最初は、Tさんが住んでいるみたいな田舎もいいと思ったけれど、娘たちの学校の都合もあるので、少し狭い庭だけどここにしたんですよ」
おいおい、あんた、湘南・鎌倉地区の路線価知ってて言ってるんかい?と。しかも、そこに住んでる人に面と向かって田舎って言うんかい?
日本語って難しいなと。
確かにわたしは自ら自分の住む街を“田舎“と言って憚らない。しかしそれは職場でしか関わることの無い人たちに対する一定の配慮というもので、「実はわたしは程よく海に近く富士山も見える景色のいい街に、手入れもなかなか手に余るぐらいな大きさの庭のある家に住んでいる」なんて言えるわけないだろーに。
よしんば本当の意味でわたしが田舎暮らしだったとしても、たとえ田舎者に見えようとも、その本人に面と向かって、「Tさんが住んでいる田舎」なんていうのは甚だ失礼だ。
似たような言葉の使い方で、男性が自分の妻や息子に対して、「うちの愚妻が〜」とか「うちの愚息が〜」というようなことがあるが、これを額面通りに受け取って、「あなたの愚妻の〜」とか「あなたの愚息の〜」なんて言ったらその場は凍りつくだろう。
今週TVerで再放送されている「名建築〜」は、東京都町田市にある武相荘(ぶあいそう)。
こちらは白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅。 現在は「旧白洲邸・武相荘」として、記念館・資料館となり一般公開されている。
次郎さんは、「日本で最初にジーンズを履いたオトコ」としても有名な、もう誰がどう見てもカッコいいお方。
そしてその妻、正子さんは、さまざまな文化に精通し昭和・平成をこれまたカッコよく生きた当代きっての随筆家だった。
そのお方のお言葉を彼女に贈りたい。
田舎に住んで、まともな生活をしている人々を、私は尊敬こそすれ、田舎者とはいわない。都会の中で恥も外聞もなく振舞う人種を、イナカモンと呼ぶのである。
白洲 正子
今朝、田舎暮らしのわが家の庭では、美しいトマトがたくさん採れた。
田舎暮らしってなかなかいいものだとわたしは思いますけど。
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