誇り高き馬のように

長良川の戦いで道三が討ち死に。”麒麟がくる”も、新章に突入。十兵衛は家族とともに越前の朝倉義景のところへ身を寄せることに。ここから、信長の家臣となるまでの不遇の時代の幕開けでもある。

負け戦の末、自身の無力さに打ちひしがれる十兵衛だが、彼を支える家族や家臣たちの優しさにも助けられ次第に自分を取り戻していく、幼きころ、父と馬に乗って出掛けた時、聞かされた言葉。「馬は誇り高き生き物で、勝っても負けても力の限り走る、遠くへ。それが己の役目と知っているから。われらもそうありたい、誇り高く

母もまたその父の言葉として「苦しい時こそ、どのように耐えるかでそのものの値打ちが決まる」と静かに背中を押す。

今回の大河は、ところどころで考えさせられる言葉が散りばめられている。

今までの信長像とは一線を画す、染谷信長の存在も目が離せない。これは余談だが、同日放送された”明智五郎”でも、毒入りの飲み物のシーンが出てくるのだが、信長は自身に差し出された毒入りの湧き水を、鬼気迫る表情で弟に「飲め」と迫る。染谷信長のサイコパスな演技がはまりすぎて怖い。

さて私は乗馬はもちろんのこと、馬券を買った経験もほとんどない馬には全くご縁のない生活を送ってきた。だから馬がそんなに誇り高い生き物なのか実感を持つことは出来ない。ただ、人間よりはるかに短い寿命の中で、現代においてもペットと全く違う立ち位置で人間と共に生きているという意味で、確かに誇り高い存在なんだろうと思う。そして、共に生きているからこそ、言葉よりも強いメッセージをその在り様で示しているのだろう。

人間も、勝っても負けても、命が続く限り生き続けなければいけない。そしてその生きる支えになるものは、人としての誇り。言い換えると、アイデンティティとも言える。

どんな状況に置かれたとしても、自分は自分。他の誰かになることは出来ない。この現世で生きる限り、肉体の続く限り、人生という舞台の上でみなそれぞれの役割を演じているようなものだ。

染谷信長が、信長という役柄に自身の解釈をのせて演じているように、時には私たちも、こうでなければという先入観や思い込みを捨て去ることも必要。そしてそういった余計なものを取っ払っても残るもの。。。それがアイデンティティ。そしてそれが私が私であるという誇りなのだろう。

それにしても、ここまでいい展開になっておきながら、あと数回で休止になってしまうのが返す返すも残念。だから尚更、残された放送を楽しみに待とう。

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