優しい雨とよもやま話

夜勤明け、ちょっとイラッとしたことがあって、ひと眠りしたあと、友人に話を聞いてもらった。

そして今更だけれど先月、ストレスで目眩と吐き気がして、藁にもすがる思いでメンタルクリニックで診察を受けた時のことを思い出した。

ドクターの答えは私の予想とは全く違うもので、、、「それは職場の問題なので、上司の人に相談してください」だった。

その時は正直、なんじゃこいつ。時間と診察代返せと思った。

ただ逆にそこでギアが切り替わった。こんな患者の心に寄り添えないような医者の世話になんかなるもんかと。

ある意味ドクターの対処は正しかったのかもしれない。彼が突き放してくれたおかげで、自分で自分を奮い立たせることが出来たのだから。

でも、自分で言うのもなんだが、こんな負けん気の強い患者ばかりじゃないよね。やはりメンタルクリニックのドクターであるなら、一応は患者の心に寄り添うべきだ。

日が落ちてきて、段々と雨が強くなってきた。雨は人の心をクールダウンさせてくれる。日常の生活音を、雨音でかき消してくれる。時に人の心を憂鬱に誘いもするし、時には優しく癒してもくれる。

自らが持った疑念や憤りを解決してくれるのは結局自分自身。

友人であれ、ドクターであれ、自分の話に真摯に耳を傾けてくれる人がいればそれでいい。それだけでいい。答えは常に自分の中にしか見つからない。

自分が見つけた答え以外に自分を納得させるものなんてありはしないのだ。

時々いろいろ考えすぎて分からなくなる。迷ったり、ぶつかったり、傷つけあったり。でも最近少しだけわかってきたことがある。元々正しい答えなんて人の数と同じくらいあるということ。

これが正解なんて、人に押し付けることほど傲慢なことはない。

そんなふうに考えていくと、自分にも、自分以外の誰かに対しても、優しくなれる気がしてくる。

ボランティアをすれば偽善という人もいる。確かにボランティアなんか偽善かもしれない。でも、そもそも真の意味で自分は善人だと自信を持って言える人間がどれ程いるというのであろう。

そうでないならこの世の大半の人は偽善者なのだから、たとえ偽善であろうと、何かしらの社会貢献のアクションをおこすことはとても意義のあることだ思う。

巨万の富を得ることは難しい。しかし、一方で心を豊かにすることは、今一寸自分の考え方を変えさえすれば、一瞬にして実現可能だったりする。

本当の豊かさとは、こんな厄介な私であっても笑って話を聞いてくれるような友に恵まれることではないだろうか?

たとえ巨万の富を得ようと、誰も信じられず、無人島にひとりぼっちで暮らすくらいなら、きっと孤独で死んでしまう。

外の雨はますます激しくなっている。しかし、明けない夜が無いように、止まない雨も無い。

辛いことも悲しいことも必ず終わりがあると、雨が囁いているように。

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