スポンサーリンク

あえて嘘を承知で騙されてやる寛容は必要なのか?

内省の日々から

つい先日、わたしにとってとても衝撃的な出来事がありまして、当面の間、“内省の日々“を過ごすことになりそうです。

そしてこうなってくると、くだんのわたしの特性が顕著に現れてくることになります。それが、あのHSPという奴。

わたし、あの相棒の右京さんじゃありませんが、『細かいことが気になる』というとても悪いクセを持っていまして、良くいえば感受性が鋭いとも言えるのですが、ほんの些細な言動から相手の嘘や欺瞞に気づいてしまうのです。

ただ最近では、比較的こんな状況を楽しめるような心の余裕を持てるようにもなっていました。これはひとえに日々の植物との対話による効果だと確信しているところだったのですが、時に不測の事態ともなると、そんな余裕も一瞬にして吹き飛んでしまうものなんですね。

ある人の嘘

少し前に、ある人のあるコメントのあるあきらかな嘘に気づいてしまいました。

その方、以前から自分を大きく見せたがる傾向があって、あの某掲示板の有名なコピペ『フランスに渡米』的な…本人はたいそう知ったかぶりに話しているのですが、実はその場でググったような浅い知識しか持ち合わせていないことを周囲の人たちも薄々勘づいてはいるものの誰もそれに触れようとしませんでした。

もちろんわたし自身も表立ってそれを指摘しようとは思いませんが、でも一旦それが気になりだすと、どうしてももやもやしてしまうのです。

ちなみにそれはこんな話です。

Aさんが今度あるところに旅行することになりました。するとその旅行先の街にお住まいのBさんが、『そのホテルわたしも〇〇の帰りにたまに利用しますよ』って仰ってました。

でも考えてみてください。わたしもたまたま観光地と呼ばれるところの近くに住んでいますが、地元民が飲食以外の目的でそういうホテルを利用することってありますかね?だからそれはあきらかに嘘だと分かります。

これって本人が冗談のつもりで言ってるのか?それとも、知ったかぶりなのか?どういう意図なのか…正直わたしには理解出来ません。

もちろん、ここで嘘をついたとしても罪に問われることはないでしょう。でも、罪に問われないからといって嘘をついていい訳ではないです。

そして、その方と交流のある方々が皆さんそのことに気づいていないかといったら、きっとそんなことはないはずです。


はからずも今、ある故人の『児童虐待疑惑』がかつてないぐらい大きく社会問題化されています。わたし、ここで問題なのは、この故人の疑惑そのものもですが、こういったことを長年見て見ぬふり、それどころかそれに加担するような態度を示してきた周囲の人々の、不作為の罪も大きいのではないかと思うのです。

そしてここで改めてわたしは思います。ひとつ嘘をつくと、それは雪だるま式に膨らんでいって、もしかすると取り返しのつかない事態に繋がる危険性を孕んでいるということです。

などといっても、それは考えすぎだとか、それがあなたの悪いクセだとか言われてしまうのかもしれません。

でもやはりわたしはそれでも言いたいです。たとえSNSが、なんでもありの当たり前の世界であったとしても、自分が知りもしないことを、さも知っているかのように装ったり、誇張した情報を流したりすることは結局、その人自身人間性を問われ、信頼を失うことに繋がるということです。

もちろんわたし自身は今、そういう人たちと直接やり合うつもりはありません。ただ時々こうやって自分を発信する場で思いを伝えていけたらと考えているのです。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ランキング参加中です。ポチリと応援お願いします。

このエントリーをはてなブックマークに追加にほんブログ村 主婦日記ブログへにほんブログ村 旅行ブログへ
PVアクセスランキング にほんブログ村
幸せのネタ帳 - にほんブログ村

lifestyle
スポンサーリンク
この記事をシェアする
きょうをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました