ごめんなさい。これは篠原涼子さん主演で大ヒットしたドラマのお話ではありません。
最近ふつふつと湧いてくるある感情についてのお話です。
以前ブログサークルを辞めようと思った時にいろいろな人にアドバイスをいただきまして、その過程であることを知りました。
わたしも一応ランキングサイトのバナーを貼っているので、拝読させて頂いたブログのバナーはクリックするようにしています。
ランキングに全くこだわらないというのであれば、最初からバナーを貼る必要はないので、自分のブログにランキングのバナーを貼っている人は、少なからずランキングを上げ、更なるアクセスを望んでいることの証なんだと理解しています。
ということでこんなわたしでも自分がバナーを貼っている以上は、記事に“いいね“して下さった人のブログを読んで“いいね“して、ランキングサイトのバナーをクリックし、コメントしたい内容だったらコメントするという一連のルーティンをこなしています。
そしてそれは自分がブログを運営し、なんらかのランキングに参加している以上は当たり前のマナーだと思っていました。
日本人は性善説を信じる民族と言われていますが、その点に関してはわたしも紛れもない日本人だと思っています。
ですがAさんの検証によると、そういう人ばかりではないということがだんだんわかってきました。
それである時わたしは、その“アンフェアな人“にやんわりとそういう話をしてみたのです。すると、その方「そんなふうに、いちいち誰かの動向を観察するなんて怖い。よほど暇なんでしょうか」ですって。
この発言をわたしは複雑な思いで受け止めました。
確かに何かが気になって観察するって、その対象によってはいろいろ問題かもしれません。
しかし例えばわたしなんか、毎日家庭菜園の野菜のことが気になって家にいて暇さえあれば観察してしまいます。
そもそもブログを書くって、その人なりの“こだわり“のテーマを日々深く掘り下げていく作業です。
つまりその人が仰るように、何かにこだわって観察する行為が怖いというのなら、そういうあなたも“怖い人“ってことになります。
だからそういうことはお互いさまだから“言いっこなし“だと思うのです。
それとも「わたしの素晴らしいブログ記事が賞賛されるのは当たり前。“いいね“やコメントやランキング応援してもよくってよ」とでも思っているのでしょうか。
いつだったか、わたしが“Bさんのことを題材に記事“を投稿したことがありました。そして投稿した途端、秒でそのBさんが、“いいね“してくれました。いい話だったらそれもありかもですが、その時のはそういう内容ではなかったにもかかわらずです。
その後もBさんの“いいね“は続いています。
ここからどんなことが推察出来るでしょう。つまりAさんの検証通り、Bさんは、ブロサーのタイトルのいいねはクリックするけれど、その先は見てないということです。
本文まで辿りついていないのですから、もちろんランキングバナーなどクリックするはずもないですよね。
きっとわたしも、Bさんからいわせると“怖い人“なんだと思います。しかし、それでも一応の常識は持ち合わせているつもりなので、わたしのブログに“いいね“したり、コメントして下さる方のブログを拝読して、ランキングバナー踏んでます。
さて読者の皆さんは、“怖い人“と“アンフェアな人“どちらがマシに映りますか?
そういえば、“アンフェアな人“はこんなことも仰ってました。
「みんなにたくさん“いいね“やコメントが貰えるような記事を書いてください」
これって何目線なんでしょう?
そりゃブログを運営している以上、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいと思うのは誰だって同じでしょう。
しかしブログを運営する意味ってランキングやPVを上げることだけが全てなのでしょうか?なんか違う。そうではないと思っている人も少なからずいると思います。
昨日わたしのブログを応援してくださるある投資家ブロガーさんの記事を拝読させていただきました。そこには、しばらくの間ブログをお休みするかもという趣旨のことが書かれていました。
理由はいろいろあるようですが、その方まだ小学生くらいのお子さんがいらっしゃるようなので、もっとお子さんと一緒にすごす時間を増やしたいと仰ってました。
わたしも3人の子育てを経て今でこそのほほんと暮らしていますが、子供が義務教育ぐらいの頃はいろいろと大変でした。そして、観察好きがこうじて長いこと専業主婦として、子供たちと向き合ってきました。
ママ友付き合いも大変で、毎日手作りのお菓子を作りお友達やそのママたちをもてなしたり、一品持ち寄りパーティに参加したり。海外駐在生活の長かったママ友たちに感化されてパンを焼いたり、おせちも一部を除いて手作りしたり、ミンサーで肉を挽いてソーセージを作ったり、子供たちに肩身の狭い思いをさせたくない一心で頑張りました。
でもそれだけ頑張ったので、今子育てに悔いはないです。だからといって子育てに成功したなんて思い上がったことなど一度も考えたことはありません。ただ親としての努めはそれなりに果たしてきた自負はあります。
だからわたしは思いました。そのブロガーさんの気持ちは親としてよく分かりますし、子育ての先輩として、子供と親が一緒にすごせる時間って長い人生の中ではごく僅かですから、その方の決断は親として素晴らしい考えだと思ったのです。
でも人の考えってそれぞれなんですね。ついブロサーの世界にいると親の経験がある人でも全然反応が違ってくるのですね。寂しいです。残念です。が先にたつのですね。
わたしは寂しいというより、お子さんにとってとても喜ばしいことに感じられて、頑張ってくださいと心の中でエールを送らせていただきましたよ。
たとえブロガーであっても、一人ひとりが生身の人間ですから、SNSよりリアルな生活を優先するのは当たり前のことです。“ランキングやPVがアップしても必ずしも幸せになれるとは限らないです。“
わたしはリアルな世界で幸せに暮らすためのレシピを綴っていくような気持ちで、これからも書き続けていきたいと思います。
そしてランキングを上げるためだけに、心にもない賞賛のコメントを書いたり、応援をしている人たちにしても、その相手が自身のランキングを上げることにしか興味がないと知ったらどう思うのでしょう。それでもあなたは、その“アンフェアな人“を信じますか?
世界三大名画のひとつとしても名高い“Las Meninas“。ベラスケスは、この謎かけのような構成の作品で、現実と想像との間に疑問を提起し、観賞者と絵の登場人物の間にぼんやりした関係を創造しています。わたしは、この絵をマドリードのプラド美術館で観て、この絵を観ることが出来た幸運に感謝しました。
そしてその後、バルセロナにあるピカソ美術館で、、、たくさんのピカソのLas Meninasを目にしました。
彼はこのLas Meninasをなんと58枚も描いているのです。あのピカソをしてこんなふうに心を突き動かされるような絵がこの世に存在するのです。
何かに“執着すること“は“怖い“ことでしょうか?わたしはそうは思いません。執着こそ、何ものかを成し遂げるために必要な原動力だとわたしは思います。
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