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元旦

あけましておめでとうございます。

私ごとですが、今年の元旦はおそらく結婚以来初めて気楽な元旦だった。いつも帰宅する人が施設から帰って来れなかったから。

次女も楽しそうだ。本当ならば今年こそは三重に行ってる筈のお姉ちゃん家族がいて可愛い姪っ子と一緒にすごすことが出来たから。

コロナ禍でいいことなど何もないかと思っていたが、思わぬチャンスも巡ってくるものだ。

まあそれはDには口が裂けても言えないことではある。

それにしても、小さな子供がいると本当に大変だ。たまに見るからただ可愛いと言っていられるのだ。

それから今年は初日の出が綺麗だったようで海岸はものすごい人出だったらしい。

そんな話ものんびり家に居ながらにして聞けるご身分てステキ♪

元旦早々、年賀状を届けてくださった方々に感謝しながら年明けに年賀状を書いてポストに投函したり、最近は本当に自由な正月を過ごさせてもらっている。

明日は箱根駅伝だが、もともと関心がないので、NEWoMan横浜の茶論でお茶のお稽古がてらバーゲンも覗いてこようと思っている。


そういえば、時系列が遡ってしまうが、年末の笑ってはいけないは、近年になく見どころが少なく、、、逆に紅白は、余計な演出が少なくて、本当に唄が上手な人の歌を聴けてよかった。初出場の大泉洋さんが頑張りすぎて滑りまくっていたけれど。でも彼の本業は俳優だし、まあそれはご愛嬌ということで。

それとは対照的に、若い二階堂ふみさんの司会ぶりが落ち着いていて素晴らしいと思えた。

そして最後のMISIAの歌唱は圧巻だった。もちろん声量だけならオペラ歌手のほうが上回るのだが、TVの画面を通しても伝わるものがあった。


それから、笑ってはいけないは今まで見た中で一番面白くなかったと言えるぐらい酷かった。クイズ形式で過去の映像を流す時間に尺を取りすぎだし、おそらく批判を浴びたことでお蔵入りになった渡部建の出演部分がまるごとカットになった影響が大きかったのではないだろうか。

それと、ダウンタウン、ココリコ、山崎邦正がやはり歳を取りすぎて笑いを取れなくなっているのかとも、、、それは今に始まったことではないが。

笑えないを通り越して痛々しい気分になった。


このコロナ禍で人生観が変わったという人も多いのではないだろうか。

なんでもないありふれた日常が実はかけがえのない時間であったこと。だからこそ、笑うときも楽しむときも一生懸命その瞬間を生きてみたい。


孫が部屋にあるDysonの空気清浄機の向こう側に立ってそこからひょっこりと顔を出した姿がとても可愛かった。

空気清浄機もただその性能だけでなく羽根がないという安全性とオブジェとしてのデザイン性も兼ね備えていることに気付かされる。

来年の正月はきっとパパの実家に帰省しているであろうから、おそらく二度とこんな場面にお目に掛かることは出来ない。しっかりと目に焼きつけておこう。

さて、今年はどんな一年になるであろうか?未だにオリンピックを諦めていない方々もいらっしゃるようだが、そんなことを言ってる場合ではないと大半の国民は思っているのではないだろうか。

この国は、一部の政治家や大手広告代理店のものなのだろうか?

しかし、もはやそんなことを考えるのも馬鹿馬鹿しいぐらい、想像以上に日本は貧困化し、格差も広がっているともいえる。

行き場を失った若者や中高年や、、、生きる意味を見失っている人たちや、、、宇宙から見える地球は本当に美しいと宇宙飛行士の野口さんは言っていたけれど、、、その美しい地球の表面で暮らす人間が必ずしも皆美しいとは限らないことがとても皮肉に感じられる。

そんなシリアスな思いとは裏腹に、孫の突拍子もない行動にハラハラドキドキさせられながらも幸せを噛みしめていた。

今年も時には憤ったり悲しんだりすることもあるだろう。でも、出来るだけ笑っていられるように、、、軽やかな気持ちで進んで行けたらと思う。

このブログを読んでくださっている皆さまに、たくさんの幸せが訪れることを祈りながら新年の挨拶に変えさせていただきます。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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