勝ち馬に乗るほうが楽なのは十分承知の助なのだが、菅田将暉も三谷幸喜も芝居好き的に応援し続けたいと思っているので、ここはひとつ“良い点“について語らねばと思った。

第一話が終了…エンディングで流れたのは、
YOASOBIの『劇上』🎵
この楽曲は、ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』のために書き下ろされた。
“この世界は舞台であって、人間はみな役者である”というテーマを軸に紡がれた。そしてYOASOBI初の試みとなる、コンポーザーAyaseのボーカル参加も実現した。
踊れ dance!
今この劇上でこの身ひとつ
明日も見えない夜に舞え
今は誰も見向きもしない
そんな役回りでも知ったことか踊れ dance!
野晒しの舞台で
がむしゃらに生きる僕らは美しい
いつかこの幕が降りるまでこの命を演じ続けるのさ
この命を見せつけてやるのさ
今この劇上で踊れdance!
この幕が降りるまで
YOASIBI「劇上」より
この楽曲、歌詞がなんとも秀逸で軽やかなメロディやボーカルと相まって、中毒性のある心地良ささえ感じてしまう(笑)
そして菅田将暉が歩く懐かしい渋谷の景色とオーバーラップして…これが若き日の三谷幸喜が心に刻みつけた“渋谷“の原風景なのだ!!
わたしにも見覚えのある景色がフラッシュバックするように流れてきた。
この第一話で、一番カッコいい場面が、エンディングだったというのはちょっと皮肉ではあるが。
ところで、わたしも後で気づいたのだが、このドラマに渡辺謙さんが、声で出演していることがわかった。彼が担当するのは、シェイクスピアの“エピグラフ”の声。エピグラフとは書物の冒頭や章の初めに置かれる題辞や引用句のことで、本作には毎話、ドラマ本編のヒントにもなるシェイクスピアの名言が登場する。

ちなみに第一話のエピグラフは、
「どうなろうとも、
時は過ぎる、どんなひどい日でも」
マクベス
シェイクスピアの戯曲は名言の宝庫だ。
わたしもマクベスは大好きな作品のひとつで、
The night is long that never finds the day.
日本語の「明けない夜はない」という訳はあまりにも有名である。
本作のテーマ、“この世界は舞台であって、人間はみな役者である”も、この名言のオマージュだろう。
「この世はすべてひとつの舞台、男も女も人はみな役者に過ぎぬ」
『お気に召すまま』より
メルボルンに行った時、そこにも世界で最も美しいと言われる図書館があった。

その6階ドーム観覧バルコニーには、ビクトリア州最初のステンドグラス「ウイリアム・シェイクスピア」が展示されている。

そういえば、中原中也さんが翻訳したランボーの詩の中にも、シェイクスピアのハムレットの登場人物「オフェリア」があったなぁ。
オフェリア
Ⅰ
星眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)に横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。
以来千年以上です真白の真白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
以来千年以上ですその恋ゆゑの狂(くる)ひ女(め)が
そのロマンスを夕風に、呟いてから。
風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける
彼女の大きい面帕(かほぎぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
夢みる大きな額の上に蘆が傾きかかります。
傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんのき)の
中の何かの塒(ねぐら)をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れて出てゆきます。
不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。
中原中也訳 ランボー「オフェリア」
菅田将暉演じる主人公は、「シェイクスピア全集」を肌身離さず持っているくらいシェイクスピアに心酔している設定なので、今後の展開も、シェイクスピアの作品を知っているとより深い理解が得られるかもしれない。
なんだか、ちょっと楽しくなってきたかもだ(^^)
コメント