腰痛が

わたしはまだぎっくり腰になったことがない。しかし、この数日、腰の調子が悪く、おそらくこれがもっと酷くなると、ぎっくり腰になるんじゃないかと思っている。

Dに相談すると、とりあえず風呂に入って身体を温めておけばいいと言っていたので、変な時間だが、米国株のチェックをしながら風呂に入っている。

うーん、確かに身体が温まるといくらか楽になる。

今は便利な世の中になったものだ。スマホも防水で、24時間稼働のお風呂もあるので思うがままだ。

実は先ほど、清水の舞台から飛び降りた気分で(大袈裟すぎ?)、ある株を買ってしまった。とはいえたったひと株なので、まあ実際可愛い金額なんだけど。

でも少しずつ売買代金を増やし、少しずつ経験を積み重ねていくことが楽しいと思えるので、釣り人の気分で持続できたらいいなぁなどと、多少夢見心地になりながらブログを書いている。

お、さっきまで辛かった腰がさらに楽になってきた。そろそろのぼせそうなので、あがるとするか。


話は全く変わる。

火曜日、大豆田〜の最終回だった。このドラマ、役者、音楽、ビジュアルはとてもいいのよね。ただやはり、3人の元夫と馴れ合う主人公という構図があり得ないし、ファンタジーとしても生理的に受け入れ難い。

それとこれはこのドラマに限ったことではないが、どうして今どきはLGBT的なことがストーリーに持ち込まれるのだろう。

わたしは個人的にLGBTに関して否定的な考えは持っていない。それこそ誰かに迷惑を掛けないことなら、、、そういうことも含めて他人がとやかくいうような話しではないと思っている。

たとえば、わたしは岡田将生のファンだけれど、わたしは彼が男として好きなのか?と考えると、そうであるかもしれないし、そうでないかもしれないのだ。

たまたま綺麗な人がそこにいたら、たとえそれが男性であれ女性であれ、好きになるかも知れないなんて思ってしまう。

そうやって考えてみると、自分自身だってLGBT的な要素を持っているのかもしれないし、それは誰にでも言えることなんじゃないかと思う。

しかし、あまり頻繁にそういう話ばかり取り上げられる必要もないと思う。あくまで、それはひとりの人間の個性というふうに捉えるにとどめておけばいいのではないか。

わたしお得意の言葉を使うなら、それこそ「だから何?」でしょう。

取り立てて貶めることでもなく、持ち上げることでもなく、ただありのままを受け入れたらいいんじゃないかしら。


近頃はTVも各方面に気を使わなければいけなくなっているようだ。確かにマイノリティへの配慮は必要なのは理解するが、それもまた社会から同調圧力をかけられているような違和感を感じる。

わたしは何事も自然がいいと思っているんだけど。美味しいものは美味しい。好きなものは好き。

とかく難しく考えることの方がなんとなくカッコよく映るようで、実はなんでも単純に考えたほうがステキと思えることがいくらでもある気がしている。

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