思考すること

今日も残業した。若干不愉快なこともあって驚いたりもしたが、笑い飛ばした。

昨日の夕方から取り掛かっていた作業がやっとひと段落した。もちろんそれだけやっていた訳でなく、他の作業も断続的に入ってなので、頭が混乱しそうだ。でもそれもまたいとおかし。

帰宅して夕飯を食べて、お風呂に入りながらなんとなく作業の効率化について考えていた。そろそろExcelのマクロを勉強しようかしら?

風呂上がり、会社からのお裾分けのサイダーを飲みながらまたあれこれ考えて、、、いつのまにやら寝落ちしていた。

対象はなんであれ、考えてる時間が好きだ。

前職に対してなぜほとほと愛想を尽かしたかといえば、何を疑問に思っても、ふたこと目には「本社からの通達なので」で終わってしまっていたから。

そして、現場ではちょっとミスを犯せば鬼のクビを取ったように責められ、足を引っ張られることが日常茶飯事であった。

連絡ノート、業務日誌を書いても、同じような文面が続き、よしんば誰かが何か書いたとしてもスルーされていた。

人は何のために働くのか?もちろん収入を得る為なのは当たり前なのだが、、、同じ時間をすごすなら、たとえそれが収入のアップに繋がらなくても、自分そして、同僚が、、、みんなが気持ちよく仕事出来るように工夫して、出来るだけ居心地を良くしたい。

人間はロボットではないから、ずっと同じ作業を繰り返してくると飽きてくる。そのためにも、たとえ取るに足らないことであっても考えることが大切。

何かを考えることにより、常に一定の緊張感を持つことが出来る。

あるひとつの作業に特化すれば、おそらくミスもしないAIロボットに敵うはずもない。

しかし、人間はそれぞれ、仕事や家庭や友人との人間関係や、、、自動化して処理することの出来ない多種多様なケースを内包している存在なのだ。

思考することは楽しい。

子供のころ、積み木を積んでは壊し、また作っては壊しを繰り返したように、退屈と思った瞬間に、それは何かより良い方法を考えるきっかけと思えば楽しくて仕方ない。

この世は欲しいモノにあふれてる。

それは目にみえるモノというより、自分にとって居心地の良い時間や空間を広げていく過程そのモノだ。

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