コロナ疲れ

ワイドショーも連日コロナの話題ばかり。春のドラマも撮影延期の影響で軒並み総集編や再放送ばかり。考えたくも、見たくもないそんなコロナ狂騒曲が聞こえてくるような4月。

皆同じようなことを考えているのだろう。昨日天気が良かったので思わず海に散歩したくなったと思ったのは私だけではなかったようだ。鵠沼から江ノ島、鎌倉にかけての海岸線はシーズン並みの大渋滞だったそうな。

はっきり言って迷惑。現実的に3密が発生するリスクもさることながら、多くの心ある方々は、不要不急の外出を避けて静かに暮らしているのに、その生活圏の中に不用意に土足で踏み込まれた感がしてイラっとしてストレスを感じてしまうから。

また別なニュースを見ていたら、本日をもって歌舞伎座前の創業150年を超えるお弁当屋さんが廃業するとのこと。最終日は長蛇の列の映像が流れていたが、これまた一つの大切な文化が幕を閉じた瞬間だと思うととても残念。一度失ってしまえば2度と戻らないのに。

確かにコロナウィルスは驚異の存在であるのは間違いない。それによって命ばかりか、当たり前の平和な日常や、歴史や文化や、そしてそれらを育んでいく心まで失われていくかと思うと虚しさを通り越して、逆に何も感じられない副作用に蝕まれてしまいそうだ。

昨日、ある利用者さんが言った。

神様はこの地球の人間が増えすぎたから、コロナを使って調節してるんじゃないのかな?って。

私は内心憤った。私たちは利用者さんの感染リスクを低下させる為にマスクをし、ことあるごとに手洗いを繰り返している。しかしここにいる方々はほとんどマスクもしないで、神様が~なんて呑気なことを言ってる。

私は思う。人は何かがあるたびに神という言葉を口にするが、現実を生きるのはあくまで人間で、神はただ天上界から私たちを見守っている。なにがあってもただずっとみていてくれるそういう存在のような気がしている。

自分を幸せにできるのは神ではない。自分自身。逆に言えば神様という存在はそれぞれの人が都合よく創り出して時にはスケープゴートになりかねないとさえ思える。

以前“JIN”というドラマの中のセリフが多くの人の心を勇気づけたことがあった。

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」

誰かが何かをしてくれるのを待っていても何も変わりはしない。自ら自分の出来ることをみつけていくしかない。

コロナ疲れしているのは自分だけじゃない。みんな平等に、老いも若きも、富める者も貧しき者も、感染するリスクを抱えているのだ。もしかしたらそれこそが神様から与えられた試練なのかもしれない。自分に厳しく、他人には少し厳しく。それぞれが自重することでしか世界は救われない。

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