ボーダーライン

ものごとの境界線

近頃、様々な出来事に関してボーダーライン(Borderline)を意識する機会が増えていると感じる。

国内なら、”言論の自由と誹謗中傷”だったり、世界規模でいうなら、”人種差別と逆差別”といったところか。

これらの問題は今に始まったことではなく、その時代によってカタチを変えて何度も問い続けられてきた。人類にとって永遠のテーマとも言える。


昨日、日中電車を利用して外出したのだが、こちらは海が近い場所にあることもあり、かなり人出が戻ってきた感がある。ただ例年と違いほとんどの人々がマスク着用という光景に違和感を感じないと言ったらウソになる。

マスク着用している人のほとんどは、わたしも含め、能動的というより、”世間の目”という見えない圧力を感じていて、その圧力から少しでも逃れる為にマスクをつけて自分を守っているようにも映る。

この国では言論の自由が保障されているようにみえるが、実は物凄く同調圧力が強い社会だと常々感じている。みんなが足並みを揃えることが何よりも優先されているのかな。しかし、それは一歩引いて眺めてみると、とても怖いことだと感じる。

そして一番問題なのは、多数の人々の意見というより、”ある一定以上の声の大きい人々の意見”があたかも多数の意見であるかのようにすり替えられていることだ。

力学の重要な現象として、作用反作用というの法則があるように、この世の中はあらゆる面で表裏一体で成り立っている。そういう捉え方からすると一見正反対の事柄にも実は明確な境界線はなくて、その時々の誰かの都合のいいように操作されているのかもしれない。しかし、それがあまりにも巧妙だったりするとそうとも気づかないのだろう。

日本では、芸能人に限らず、一般人も、政治や宗教の話をするだけで胡散臭くみられる傾向がある。しかし、本当にそのままでいいのだろうか?そんなふうにわたしたちが思っていること自体、おそらく”お上の方々のご意向”なんだろうと疑ってかかるぐらいで丁度だ。

確かにある一定の政治や宗教団体に帰依することは危険だと思う。

しかし、このところマスクについて考えてきたのと同じような感覚で、過去の歴史から政治や宗教について学び考えることは必要なのでないか?

そうした結果として、それぞれの心の中に、”誰にも左右されないポリシー”が形成されいくのでないか。

とても難しい問題だが、今世の中で起きている様々な出来事を見つめながら、時にふと立ち止まったり、振り返ったり、そして再び前を向いたりして、自分の中の境界線を問いづづける。

境界線を飛び越える

朝から、かなり鬱陶しい話をしている。気分転換になるか?それまた疑問な話かもしれないが、マークロスコの話でもしようかしら。

マーク・ロスコ 〈シーグラム壁画〉 1958−1959年

わたしが、マークロスコという芸術家を知ったのは、今から5年前、小栗旬×田中哲司の2人芝居『RED』をみた時からだ。田中さんがロスコ、小栗くんがその弟子という設定。ひとことでいうと、普段から多岐に渡るジャンルの書籍を読み漁り、絵画や彫刻、音楽など様々な芸術に触れ、ひととおりそれらを教養として知っているレベルのひとでないと正直”何言ってるか分からない”セリフのオンパレードだった。見ていてとても脳が疲れたなというのが最初の印象。

それから、自分の無知を埋めるべく、ロスコの自身の作品やその生涯について調べてみた。日本では、上記の動画で説明されているように、DIC川村美術館に、シーグラム壁画と呼ばれるシリーズのうちの7点が展示されている。

この作品群は、もともと、1958年、マンハッタンに新しく出来るシーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」のために、作品制作を受けたことがきっかけとなっている。最高級の料理と優れた現代アートをともに提供するというコンセプトのもと、ロスコも作家のひとりに選ばれ、レストランの一室の装飾を任された。

しかし、この作品群、完成はされたものの、一足早くオープンした店を訪れた彼がその雰囲気に幻滅し、契約を破棄してしまったためレストランに飾られることはなかったというちょっと訳ありな作品たちなのだ。

舞台『RED』の中でも、このシーグラム壁画にまつわるエピソードがロスコとその弟子の2人の語りで展開されていた。

それから、数年後、意外な場所で偶然、本物のロスコの作品をみる機会に恵まれた。2018年、横浜美術館で、「モネ それからの100年」というモネの絵画25点と、後世代の26作家による作品の中の一点として。

もちろん、知識としてロスコを知っていても、まさかモネ展の中でロスコの作品があるとは知らず。。。しかし、その絵の前を通りすぎようとした瞬間、あっと、気がついた。少し興奮して、娘に、言ってみたものの。当然のことながらなにそれ?といった反応だったが。

おそらく、もしロスコ本人がその場に居合わせたとしたら、他の作家たちと並んで展示されること自体、受け入れがたい状況だろうなと思った。

しかし、モネの睡蓮目当てで足を運んで、ロスコの作品に遭遇するってのも、わたしにとってはなかなか素敵な出来事だったなあ。出会いとはそんなものなのかも。


そんないきさつがあり、わたしのいつか行きたい場所のリストに、川村美術館のロスコルームが加えられた。

美術作品の鑑賞方法にマニュアルなどないが、ロスコルームに入り、その壁画群に囲まれていると、まるで自分の意識が赤く染まるような感覚になり、やがては深い内省を促されるという。まさにそれが、彼の作品が「瞑想する絵画」といわれる所以であろう。

アートは難しい。しかし、その作者の意図を理解しようと試みる行為自体が、時に自身の心の障壁を飛び越える一助となり得るだろう。

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