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教養としての信仰

信仰心のない〇〇さんのあまりの無教養と配慮に欠けた発言に憤った前回だが、今回は少し視点を変えて考えてみたい。

わたしは、無信仰だが無神論者ではない。でも最初からキリスト教について知ろうと思った訳ではない。ただ、旅先でその国の言葉が分からず苦労するのと同じように、その国の宗教を知らないと理解し難いと思うことが多々あると感じている。

そして、ヨーロッパ旅行をするにあたっては、キリスト教を『信仰』ではなく『教養』として学ぶだけで、文学や音楽や絵画の解像度が爆上がりする。

娘①がWの学生だった頃、スペインのサラマンカ大学の夏の短期留学のコースに参加したのだが、週末にクラスメイトと一緒にマドリードを経由してトレド観光に行ってきて、それが彼女にとっては一番の思い出になったのだとか。

トレド

トレドは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の文化が混ざり合った「三文化の都市」として知られている。そのため、様々な文化が融合した独特な建築物や街並みが特徴。特に、エル・グレコが愛した街としても有名で、彼の作品が数多く残されている。

今でこそ、全く絵筆を持つ機会など無くとも、誰しも中学までは美術の時間に歴史を学んだり、絵を描いたりする機会はそれなりにあっただろう。が、娘がスペインを訪れる前までは、さほど美術に関心も無く、失礼ながらエル・グレコという画家の名前すら知らなかった。

しかし、最初に娘から聞いたこの方の印象はあまり芳しくなかった。というのも、グレコの現存する作品のおよそ85%が聖人画を含む宗教画であり、10%は肖像画という偏ったものだったから。

ところで、皆さんは世界三大絵画と言われている作品をご存知だろうか。これが面白いことに、4作品あって、『モナ・リザ(レオナルド・ダ・ビンチ)』、『ラス・メニーナス(ベラスケス)』、『夜警(レンブラント)』、『オルガス伯の埋葬(エル・グレコ)の中から3つを選ぶことが多い。

この中で、日本で一般的にあまり知られていないのが、おそらくエル・グレコの名前とその作品たち。で、おそらくその理由がグレコの作品のほとんどが宗教画というジャンルになることから、他の画家たちと比べて関心が低くくなりがちということなのかなと思っている。

娘①と好きな芸術家について話をした時に、彼女はアール・ヌーヴォーが好きなので、アルフォンス・ミュシャが一番好きと言っていて、若干苦手なジャンルが宗教画で、スペインでエル・グレコの評価は高いけれど、自分はあの画風はそれほど好きではないといっていた。

わたし?その時点では、ミュシャもグレコもどちらもよく存じあげなくて(笑)、正直好きでも嫌いでもなかった。

しかしその後、ママ友とマドリード、グラナダ、バルセロナを列車で周遊の旅で、マドリードから列車でトレドに日帰り観光した時に、グレコの家で彼が描いたトレドの風景を描いた作品を鑑賞したり、サント・トメ教会所蔵の『オルガス伯の埋葬』を実際にみて、すっかり魅了されてしまった。

オルガス伯の埋葬

こちら非常に大きな作品(460 cm × 360 cm)で、画面上は天界と現世に明確に上下分割されて描かれている。何故この作品が、世界三大絵画のひとつに挙げられるのかは、おそらく実際にこの目で見ないと分からないだろうと思った。

この作品は、その死後に伯爵位を綬爵されたトレド出身のオルガス首長ドン・ゴンサロ・ルイスが1312年に死去したときの伝説を題材としている。オルガス伯ルイスはたいへん信心深い篤志家で、正義感に満ちた騎士であり、グレコの教会区教会でもあったサント・トメ教会の拡張、内装のために多額の遺産を残した。

伝説によればルイスが埋葬されるときに聖ステファノと聖アウグスティヌスが天国から眩く降臨し、葬送に参列していた人々の目の前で、手ずからルイスを埋葬したといわれ、グレコの作品はまさにその瞬間の神や人々の姿を生き生きと描いているのだ。この絵を見た当時はほとんど知識はなかったがそれでも言葉にならない感動が心に響いてきたことを覚えている。

グレコの作品は、トレドの大聖堂の祭具室の祭壇にも展示されている。

聖衣剥奪

ちなみに、わたしは、モナリザ(ルーブル美術館)、ラス・メニーナス(プラド美術館)も見ているが、自分が一番好きなのは、ベラスケスのラス・メニーナスだ。

ラス・メニーナス

ベラスケスは、宮廷画家でありながら、国王から召使い、矮人まで、身分の隔てなく、人物をありのままに捉え、美化することなく、その人物の個性や内面を表現しようと試みた。このような彼の考え方は、当時の肖像画としては非常に革新的だった。

これはベラスケスが、国王フェリペ4世の信頼を得て、宮廷内で高い地位を築き、外交官としても活躍するなど単なる宮廷画家としての立場だけではなかったことからもたらされた視点だろう。

扱う題材は違えど、両者共に、当時の常識に捉われず現実と想像の境を曖昧に描いているにも拘らず、登場人物の描写をリアルに描きだしている。

ちなみに同じスペインの巨匠ピカソは、このラス・メニーナスに並々ならぬ思い入れがあったようで、58作品も制作している。

わたしは、バルセロナのピカソ美術館でこれら全作品を観ることが出来た。

パブロ・ピカソ ラス・メニーナス左:No.1 右:No.47

そのおかげもあって、ピカソが一気に身近な存在に感じられ、彼の作品に対する理解も一気に深まった気がした。

わたしたちが泊まったホテルはバルセロナの旧市街地にあるカテドラルの目の前だったが、そのすぐ側にある、カタルーニャ建築協会の建物に若き日のピカソが手掛けたフリーズ(帯状の壁画)が描かれていた。


おや?トレドのエル・グレコの『オルガス伯の埋葬』から、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、その絵をリスペクトするパブロ・ピカソまで話が展開してしまった(^_^;)

〇〇
> Sさん 教会にすっごくお金かけているよね~その分民に配分すればいいのにね(笑)

↑教会に興味が無い方は、こんなとんでもない発言されるけれど、ヨーロッパ中世の王侯貴族の皆さんもいろいろな方がいらして、エル・グレコの絵の題材になったオルガス伯のような、地域に貢献した篤志家もいらっしゃる。また日本に馴染みの深い仏教徒の多いタイでは、お坊さんやお寺はとても大切にされていて、男子は一生に一度は出家するという文化がある。

持つものも持たざるものも、それぞれが出来る範囲で教会やお寺にお布施をするのが当たり前な習慣が根強いているので、〇〇さんのような見当違いな発言をされる方は憐れみをもって見られることはあっても尊敬されることはないだろう(笑)

ご存知の方もいらっしゃると思うが欧米では、

ノブレス・オブリージュ (Noblesse oblige)

という精神が広く浸透している。

これは、高い地位や権力を持つ者は、その地位に伴う責任や義務を果たすべきだという考え方。

具体的にいうと、かつて貴族は、戦争時には率先して戦う義務があったし、富裕層は、慈善活動や社会貢献を行うことが期待される。そしてリーダーは、国民や組織のために尽力する責任がある。

客観的にみて、〇〇さんってヨーロッパに夫さんと2人でビジネスクラスで行けるぐらい生活に余裕のある方なのだから、他国の事情にあれこれ苦言を呈する前に、ご自身がノブレス・オブリージュ の精神を実行されたらよろしいのでは?

確か、公園にゴミが云々仰っていたけれど、買い食いして遊んでいる暇があるならば、河川敷で野いちご拾う前に、清掃ボランティアでもされたらいかがかしら?

そんな風に自分はいつも安全地帯に居て、偉そうなことばっかり言ってる人の戯言なんて…一体誰が聞くって言うのでしょう。〇〇さんの信者さんも、早く洗脳から解けるといいですね。あ?皆さん、ビジネスブロ友さんかもしれないけど(* ´艸`)

そういえば〇〇さん、亡くなった義母さんの介護されたとか仰っていたけれど、その方サ高住にいらっしゃいましたよね。家族がそこや病院に通ったりする程度のことを、介護とは言わないと思うし、それを介護だなんて、本当の介護をされてる方や、介護従事者に大変失礼な発言だと思うわ。

そんな程度で介護というなら、わたしも姑の介護したことになっちゃうし(笑)

やっぱり介護って、24時間体制でオムツの交換や入浴、食事の一切を担うことだと思うので、それ以外は介護ではなく介助だと思うわ。

あらー話がまたまた脱線してしまったwww

しかし残念ながら、今の日本では、キリスト教さえも近頃のカルト宗教となんら変わらない感覚で、なんだか怪しげで近寄ってはいけないもの。そんなレッテルを貼られ今に至っている気がする。

『信教の自由』は、憲法第20条で保障されている…個人がどの宗教を信仰するか、または信仰しないことを自由に選択できる権利である。

だから〇〇さんが信仰を持たないことを云々するつもりはない。だかしかし、〇〇さんは同時に、他の個人が信仰する宗教について、暗に貶めたり、根拠のない噂を流したりしてはならない。

わたしが〇〇さんを批判するのも、〇〇さんが事実をねじ曲げたり、事実と違う発言をしたり、明らかに間違った情報を断定的に話したりしている事についてのみである。

そして、わたしが〇〇さんを嫌うのは、その下品な言動を始めとするマナー違反を随所でやらかしているからだ。たとえば本日の記事の野いちごの地図についても、万が一〇〇さんの指し示す地図の情報を見て、野いちご摘みをする人がいるとしたら、無駄な軋轢を産みやしないかと懸念している。

以前〇〇さんが、公園でキタキツネの写真を撮っている現場にスマホカメラで侵入してきた輩に苦言を呈していたが、第三者的視点から言及すると、キタキツネに向けてカメラを構えている時点で既に、キツネの居場所を教えているようなものであるのだから、他の公園の利用者に言わせると、〇〇さん自身も迷惑な撮影者だと言っても過言ではないのだ。

だってそこは、〇〇さんの庭ではなくて、『公園』ですから。河川敷の利用も、個人の利用では認められていることが多いが、利益目的の場合は管理者に申請が必要になることもある。今は、何か利があると思えばモラルを逸脱した人が殺到する時代でもあるから、〇〇さんも、不用意に情報を流すべきではないと考える。

大切に守りたいものは、自分だけでこっそり楽しまれてはいかがだろうか。





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