2日目は終わらない
四国2日目の旅はまだ終わりません。
思えば高知駅前のホテルを8時過ぎにはチェックアウトして徒歩で高知城→博物館を散策。
11時すぎには高知駅を出発して、12時頃大歩危駅に到着。そこからバスで蔓橋まで足を伸ばして、720mlの酒類4本入りのスーツケースを抱えてかずら橋を渡りました。
移動中はおつまみにビールを燃料代わりにして、観光列車でもまたワインとビールを飲みつつ、手の込んだ料理に舌鼓を打ち、秋の紅葉を肴にいい感じに出来上がってました。
はっきりいってこの段階で送迎車に乗って宿の温泉に入って疲れた筋肉をほぐしてもいいぐらいでした。
しかしわたしたちには明日の朝も早くに出発するというノルマが課されているので、今ここでお参りしなければ当分チャンスは巡ってこないのです。
参道の階段の手前におしゃれなカフェが見えてきました。「あー休みたい」という煩悩を振り払って前に進みます。
もう17時近くになるとほとんどのお店が閉まっています。今は大門が18時に閉まるとはいえ、もう少し開けていてもいいんじゃあありませんか?
だんだんと勾配がキツくなってきます。
振り返るとお参りを終えたの方のうしろ姿が見えます。
うわーここがゴールならどれだけよかったでしょう。
うしろを振り返ると空に薄いグラデーションが掛かっています。
しかしここはまだまだ序ノ口なんですよ。
ちなみに写真を撮っているのは休む口実を作っている為なので、はっきりいって映えとか全く考えていませんでした。
観光列車で食べたものが逆流してくるんじゃないかというぐらい苦しくなってきました。
朦朧としているので、ピントもズレまくりです。あはは。
しあわせさん、こんぴらさん。
幸せって何でしょう。この時のわたしには何も考えられませんでした。
きゃーこれが御本宮ですよ♪
既に社務所などは閉まっているので御朱印など頂くことは出来ませんが、もうこの景色を見ただけで十分です。
誰に褒められなくてもいいんです。
「こんぴら参り」が全国的に広まったのは江戸時代。当時、庶民が旅をすることは禁じられていたのですが、社寺への参拝の旅だけは許されていました。
大流行したお伊勢参りと並び、こんぴらさんは「一生に一度はお参りしたい場所」として、庶民の憧れの旅行先となったのです。
今日一日で、江戸時代なら考えられないような距離を移動しながら、高知城、かずら橋、豪華観光列車、こんぴらさん参りを体験しました。
江戸時代なら何度も一生に一度をやり遂げたようなものです。
ちなみに「こんぴら」という呼び名は、かつてインドを含む南アジア周辺で使用されていたサンスクリット語(梵語)の「クンビーラ」が語源だと言われています。クンビーラとは、ガンジス川に棲むワニを神格化した水神、すなわち龍神のこと。
仏教では「宮比羅(くびら)」と呼ばれる水運の神様で、古来この地に祀っていたともされています。
このとき何気に撮ってあとで知ったのですが、この御本宮の向かって右手に立つ2基の灯籠。よく見ると、右側の灯籠だけツヤツヤと光っています。これは、昔からこの灯籠を触ると「へそくり」が増えるご利益があるといわれており、灯籠を撫でて帰る人が多いためなんだそう。無意識とはいえこの画像を撮った自分を褒めてあげたいです。
この時期は急に暗くなってくるので、そろそろ下に降りるとしますか。
参道を降りて、お宿に向かいました。宿は送迎車で途中下車した場所から徒歩7,8分ぐらいの場所にありました。もうHPが限りなく0に近づいています。
アイマサリの収穫
このところ旅の話ばかりで、わたしがガーデニングをサボっているのでは?と思っている方もいらっしゃるかもしれません。
残念ながら、わたしは仕事を辞めても、ガーデニングを休むことはないのですよ。
今週は、アイマサリさんを収穫していましたよ。これを二三日日陰で干して、
今朝は鎌倉ハムとサラダほうれん草を入れてポテサラを作りました。めちゃくちゃ甘みがあって美味しかったです。
そして、とうとう終わりを迎えてしまったマリーゴールドを撤去して、その跡地に、えんどうの苗を植えました。
ネモフィラのタネもいつのまにか発芽していました。
そしてうちのアイコさん。まだまだ頑張ってます。まるでぶどうみたいになってますよ。
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