スポンサーリンク

”批判“=“誹謗中傷“なのか?

SNS上の誹謗中傷

いまタレントryuchellさんの死をきっかけにSNS上の誹謗中傷についてさまざまな意見が飛び交っている。

わたしはあの方に近しい立場ではないし、本人の心境は、本人にしかわからないことなので、その死の原因が本当にSNS上の誹謗中傷によるものと決めつけていいものなのかと思っている。

誰しも自分が経験した範囲のことでしか物事を推し量ることは出来ない。わたしは以前、子宮筋腫による過多月経に悩まされて、定期的にホルモン注射を打っていた時期がある。その影響で精神的な不安定や過食に陥り、急激に体重が増加してしまった。

その後、子宮動脈塞栓術という手術を経て、過多月経から解放され、治験に参加する機会に恵まれて今に至る。

治験開始直後は、胃の不調や食欲不振で辛い時期もあったが、順調に体重が減るにつれ、心身共に健康を取り戻しつつあると感じている。

そしていま冷静に過去を振り返ってみると、ホルモン注射をしていた時期が精神的に一番辛かったような気がしている。

ryuchellさんも自らの悩みに向き合う中で、ホルモン剤の投与などされていたことは想像に難くない。とすれば、この方を苦しめていたものは、単純にこれと決めつけられるようなことではなく、もっと複合的な要因が重なりあって、不幸な結果に繋がってしまったのではないだろうか。

もちろん、これもまたわたしの個人的な見解にすぎない。が、ある有名人の死について、これを全てSNS上の誹謗中傷と結びつけていいものかという思いを拭い去ることは出来ないのだ。

批判≠誹謗中傷

そういえば、先日わたしの記事であるサイトについて批判的な見解を述べたことがあった。それに対して直接的に批判を受けることはなかったが、おそらくいろいろと、複雑な思いを持たれた方々がいらしただろうということは感じている。

そして改めて、その時の心境について言及するなら、あれはわたしにとっては、“悪意ある誹謗中傷“ではなく、事実が歪曲されて伝えられていることを見て見ぬ振りすることが出来ない“健全な批判“だったということ。

もちろん価値観は多様で、それぞれが尊重されて然るべきである。そして自分が贔屓にしている店なら、多少大袈裟に褒めたくなるのが人情というものだ。

しかし普段から卓越した料理に関わる見識を披露されているその方であるなら、価値観や味覚の範疇ではない、店の形態やメニューなどについては正確を期するべきではないかと思ったまでだ。

そして、これだけははっきり言えることだが…“ねじ曲げられた情報は必要とされていない“ということだ。

いまSNS上で飛び交う誹謗中傷というワード…ややもすると、自分が批判されたり反論されると、都合よく誹謗中傷と言い換えてるとしか思えないような場合もあるだろう。

もちろん行き過ぎた誹謗中傷は然るべき法の裁きを受け罰せられるべきとは思う。しかし、批判と誹謗中傷の境目が曖昧な現状で、何らかの規制をかけてしまうと、今度は言論の自由や批判的意見を封殺するような、どこかの国のような方向に流れていきはしないだろうか?という一抹の不安が頭をよぎるのである。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ランキング参加中です。ポチリと応援お願いします。

このエントリーをはてなブックマークに追加にほんブログ村 主婦日記ブログへにほんブログ村 旅行ブログへ
PVアクセスランキング にほんブログ村
幸せのネタ帳 - にほんブログ村

lifestyle
スポンサーリンク
この記事をシェアする
きょうをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました