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「健全な批判」と「悪口」は違う

「健全な批判」と「悪口」は違う

わたしもそうですが、よく「他人の悪口を言うのはよくない」と言われて育った人が多いと思います。実際のところ、わたしも「悪口」は好きではありません。

しかし「健全な批判」をするのは悪いことだとは思っていません。

そんなのは詭弁だと仰る方もいらっしゃるかとは思いますが、今までわたしが展開してきたお話も、ほとんどは「健全な批判」の範疇だったと自負しています。

もちろん憤りの感情のまま発した発言もあります。ただ、それも相応の理由があってのこと。

ここでわたしの言うところの「健全な批判」について述べさせていただきます。

これは、各自が「善」と判断する目的のために他人の至らないところやネガティブな側面を指摘する行為です。

ウソの情報や自分に都合のいい情報だけを流して自分たちだけ得をしようとしている人の言うことに反論することで、大多数の人の利益を守ろうとするのも「健全な批判」と言えるでしょう。

例えばミニ扇風機

例えば、以前、今年の夏も大流行していた「ミニ扇風機」について、Aさんがこんな記事を掲載されていました。

「いまどき、扇子やうちわで扇いでいる人なんていません。時代はハンディミニ扇風機です

確かに今年の夏、女子高生をはじめとする多くの若い女性が、このミニ扇風機を持っていました。だからといって、“いまどき、扇子やうちわで扇いでいる人なんていません。“ということにはならないですし、その根拠もないと思います。

たまたまだったと思いますが、その時ちょうど、わたしは雅叙園の百段階段のイベントで、竹久夢二の黒猫をモチーフにした可愛らしい扇子を買い、自らのブログにアップしたところでした。

もちろんわたしだけでなく、その時の気持ちを書いた投稿にコメントしてくださった方々の中にも、いまだにその時代遅れの扇子や団扇を使っていると仰っていた方もいらっしゃいました。

それでなくとも今、エネルギー不足やSDGsなどが社会問題になっているわけで、この団扇や扇子はアナログな時代遅れかもしれませんが、電池も充電も必要なく、扇子などは鞄のスペースもほとんど取ることなくいつでもどこでも持ち歩くことが出来ます。

ですからどんなにミニ扇風機が普及しようとも、この2つのアイテムが絶滅する世界にはならないと思います。

なのに、そう思う人の存在を否定したかのようなその発言に対してわたしは憤りを隠せませんでした。

その後もAさんの失言は多々あり。

専業主婦=暇人?

一番直近だと、専業主婦というワードに暇人というルビをふっていらっしゃいました。その後、流石にそれはまずいと思ったのか、該当部分を削除されてましたが。

これもたまたまですが、ちょっと前までわたしも、バリバリ失業中で専業主婦をやっておりました。

そしてこれは専業主婦のみならず、働く主婦の目線からしても、それこそ時代錯誤な考え方であり、立派に専業主婦をされている方々にしてみたら、誹謗中傷されたに等しい発言です。

そして一時的にしろ、その人気ブロガーでもしかしすると自らインフルエンサーと自認されている方が、たとえ自虐としても言っていいことと悪いことはあるのではないでしょうか。

おそらくそのAさん自身は、暇で余裕がおありなのでしょう。しかし、そんな暇な専業主婦ばかりと仰る根拠はどこにあるのでしょう。

そしてこういったその人の勝手な思い込みや考えを垂れ流されて、嫌な思いになる専業主婦など誰もいないと思われたのでしょうか。

もちろん、今の若い世代の方の中にも、専業主婦のお母さま方に大切に育てられた方もいらっしゃいます。その方々からしても、自分の母親が暇人などと言われて笑って見過ごすことが出来るでしょうか?

でも現実にはあの時、あの記事に、いいねしたり、賛同するコメントを寄せている方が多数いらっしゃいました。

これはもはや、あの方の仲間内の世界で行われている 「#大人のいじめ」ではないですか?

それに対して物申すことは「悪口」ではなく「健全な批判」と思うことは間違っていますか?

それともどんな理由があるにせよ、揉めごとを起こすことが悪なのでしょうか?

美しいもの

ところで先日、ブロ友さんとのコメント欄の会話でイタリア語の諺についてお話した時に、とても美しいことわざを見つけました。

Non è bello ciò che è bello, ma è bello ciò che piace.

(美しいものは必ずしも美しくなく、好きなものこそが美しい)

ゲーテ

これって、この“美しい“を“正しい“に言い換えても、そのまま意味が通りますね。

つまり、“美しい“も“正しい“にも絶対はないので、それぞれの価値観があっていいと思うのです。

だから、そういった価値観の違う者同士が共存している世界では、誰かの価値観に迎合する必要もないですし、否定される謂れもないのです。

そして謂れもなく自分の好きなコトや愛するヒトを否定されたら、堂々と「健全な批判」をするコトは決して悪ではないと思います。


今朝の庭の様子です。

9月に一旦終わりを迎えたかと思われたトマトに花が咲き、段々と色づいてきました。

もしわたしが先月根こそぎ撤去していたら、今、このトマトを見ることは出来ませんでした。もちろん、夏のような収量は望めませんが、この秋の真っ最中に実るトマトもまた趣があります。

扇子も団扇も専業主婦も夏野菜のトマトも、たとえ時代遅れと言われようと決して絶滅することはありません。少しずつですが、変化しながら生き残っていくことぐらい許されたっていいと思います。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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