息苦しい

つい最近まで、来年の後半ぐらいには海外に行けるかと思っていたがどうやらその見通しは甘かったのではと思い始めている。

今のところ国内旅行は大丈夫そうであるが、自分が行きたい国に気軽に出掛けられそうな日は遠い気がする。

そんなふうに思ったら急に息苦しさを感じはじめた。

少し前まで貧血だったので本当に息苦しかった。少し歩くと息があがって、、、それでなくともマスクがあって息苦しいうえにだ。

今は身体的には通常になりつつあるが、今度は心が息苦しさを感じ始めている。

昨日長女と一悶着あったこともありいろいろ辛い。そしてまた追い討ちをかけるように、この単なる個人的な呟きを読んで勝手に傷ついたといわれたり。

事あるごとに書いているが、わたしは基本的にスイーツがあまり得意ではない。だから以前娘から貰った本場のザハトルテが甘すぎて大変だったと正直に書いたことがある。

でもそれは致し方ないことではないか。もう50もすぎたおばさんにもなっていまさら嗜好を変えろと言われても無理なのだから。

それこそ箸の上げ下ろしから何から自分が嫌いな人の言動を論って批判したところで何も変わりはしない。

しかもこのブログを読んでくださいとわたしからお願いしたわけでもないのだから放っておいてほしい。

本当に息苦しいのだ。

孫や孫のようなニアという存在が現れてから、もうそろそろ子育てから解放されたいと思いはじめている。

親にとっていくつになっても子供は子供だが、同時に以前のような勢いは持ちようがないのだから、みんなには本当の意味で独立してほしいのだ。


わたしが食べ歩きや旅行したりするのは結局のところ日常の息苦しさから解放されたいからなのだ。

誰かにかかわれば少なからず何かしら感じることがある。そうすると自分は本能的に少しでもそのひとのお役にたてたらと思ってしまう。

もちろん見当違いで押し付けがましいことをしているのかもしれないが袖振り合うも他生の縁とでもいうのか、きっとどんな小さな出会いだったとしても何かしらのご縁があったから出会っているのではないだろうか。

そして親と子の出会いはその最たるものであろう。

息子から言われた。

どうせ毎回同じことの繰り返しなんだから仲良くしてよ。

たしかにそうだ。何度言い争ってお互い傷つけあったとしても、親子であることには変わりないのだから。

とにかくこう見えても(どう見えてる?)わたしは結構壊れやすく繊細な部分を持ち合わせているような気がしている。

いやむしろその心なしに、絵画や彫刻や建築や料理やお酒や演劇や文学や音楽などの芸術を語ることも感じることも出来やしないだろう。

わたしが今月末で仕事を辞めることも、お金よりも自分の心をこれ以上疲弊させたくなかったからだ。

わたしにとって人間関係はとても難しい永遠のテーマで、誰とでも仲良く出来るようなタイプではないのも自覚している。

本当はひとりが一番気楽な旅人なんだと思う。

もうみんなに気を使うのが本当にしんどい。

今はただ癒されたい。それに尽きるのではないだろうか。

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