ホテルをチェックアウトして、コンシェルジュさんからいただいた情報を携え最寄のバス停(芸術劇場・NHK前)に移動。
ここから市バス8系統に乗りおよそ20分、三溪園入口で下車。
三溪園とは
三溪園とは横浜市中区にある純日本庭園。もとは私有地だったところを、1906年(明治39年)に実業家の原三渓(本名:富太郎)によって一般公開された。
原三渓は生糸貿易により財を成した人物で、世界遺産に登録された富岡製糸場を中心に各地に工場を持っていた。横浜の歴史を語る上で核となる人物で、横浜の基礎を築き上げた逸材として大きな功績を残している。
もともと彼は古美術が趣味で、私財を投じて茶道具などを収集していた。その一つとして、京都の寺院や古民家などを購入し、三渓園へ移築した。そのため庭園内には、室町時代から安土桃山時代の寺院建築や古民家、茶室などの古い建造物が数多く配置されていて、歴史的価値の高い庭園として評価されている。
紅葉の遊歩道開放
今年は、11/23(祝)〜12/10(日)の期間限定で、三溪園を代表する紅葉スポットである「聴秋閣」奥の遊歩道が一般開放されている。
「聴秋閣」は、1623年に二条城内に建てられたとされ、1922年に三溪園に移築された重要文化財建造物。
移築前は「三笠閣」と呼ばれていたが、原三溪は、建物周辺に大きな石を配し、渓谷として紅葉などを植栽し、名を「聴秋閣」と改め、秋に紅葉を楽しむ風情を創出した。
今年はご覧の通り紅葉は遅れ気味ではあったが天候に恵まれ楽しい散策となった。
おばさんぽ
正門から入り、大池に沿って歩いていくと池の反対側に旧燈明寺三重塔が見えてくる。
御門は江戸時代(1708年頃)の建築で、京都東山の西方寺にあった薬医門である。
臨春閣は、紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築。
旧天瑞寺寿塔覆堂は、1591年に豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築。
旧燈明寺三重塔は、室町時代(1457年)、京都・木津川市の燈明寺(廃寺)にあった建物。現在、関東地方にある木造の塔では最古。
旧矢箆原家住宅は、飛騨・白川郷にあった建物(江戸時代後期)。現存する合掌造では最大級の民家。
編集後記
この日も前日から引き続き、あまり体調が良いとは言えず、そのわりには頑張って歩いて写真もたくさん撮った。ママ友は2度目、わたしは初めての訪問。
広大な敷地では、全国から移築された歴史的建造物と四季折々の自然とが見事に調和した景観が展開されており、芸術家や文学者など多くの文化人と交流していた三溪の美意識の高さをうかがい知ることが出来る。いつかまた…万全な体調の時に訪れてみたいものだ。
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