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見過ごせないこと

誰にだって若い時の過ちのひとつやふたつある。わたし自身も自覚のあるなしを含めて、きっと今までたくさんのあやまちを犯してきたに違いない。

しかしひとくちにあやまちと言ってもそれは程度問題で、、、子供の喧嘩じゃないが、ゴメンで済むならケイサツいらないと思われるようなこともあるよね。

あのOさんって人が、過去に障がいのある同級生に対するイジメをしたことが今になって問題になっている件。

もう30年以上前の話だから、本人は真摯に反省しているからと擁護しているひとたちがいる。

しかし、たとえ過去のイジメが若気の至りであったとしても、その後そのことを十分大人になってから複数のメディアを通じて自慢気に語っているのだから、それはもはや擁護出来るレベルを超えているのではないか。

わたしは今、当時、その雑誌に掲載されたイジメの内容を目にして本当に言葉にならないぐらい衝撃を受けている。

子を持つひとりの母親として、そのイジメを受けた方々本人や親御さんたちの気持ちを考えると、悲しくて怖くて、、、人は人に対してイジメという軽い言葉をつけさえすれば、何をしても許されるのだろうかと、、、本当にいたたまれない気持ちになった。

その後、今回のオリンピックの開閉会式の楽曲を担当することになってことが明るみになるまで彼が真摯に反省したという痕跡は何も見つかっていない。

そして、今回の大会はオリンピック•パラリンピックなのだ。

彼がどんなに素晴らしい音楽の才能を持っていたとしても、犯した過去のあやまちが犯罪と認定されなかったとしても、彼の犯した行為は単純なイジメで片付けていいような次元を超えていたことは間違いない。

ときどき薬物事件で有罪が確定した芸能人が出ていた作品がお蔵入りになると、作品に罪はないのにという議論がわきあがる。この問題はすこしそれに似ているかもしれない。

わたしも作品に罪はないと思っている。ただどうしてもそれらがお蔵入りになってしまう理由も分かる。もしその作品が公共の電波を通じて放送されたら、何をしても許されるという風潮に流されてしまうだろう。やはりそこには一定のルールが必要なのだ。

今は芸能人の不倫スキャンダルでさえ世間の厳しい目に晒される時代だ。

ましてこのコロナ禍で、国民は耐え難きを耐えている状況だ。

今こそオリンピックに関わる全ての人たちは、李下に冠を正さずを心にしっかりとめておくべきなのではないだろうか。

この関内駅からほど近いとある場所の写真。何かの検査を受ける為のどう見てもオリンピック関係者の行列。

実はこれも問題なんじゃないかと思う。なぜなら、ここは、私たち一般人が往来する歩道なんでけど。バブル方式で、関係者と一般人が接触しないという規定が果たして守られているのだろうか?ここに映っている人たちが、きちんと14日間隔離されていたなんて保証はどこにもない。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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