あの池袋の交通事故があった辺りから『上級国民』というワードが飛び交いはじめた。
先日、女優の綾瀬はるかさんが、コロナの中等症で入院したということで、「政治家や芸能人は上級国民だからすぐに入院出来てズルい」なんて厳しい意見が相次いだという。
たしかにそういったことは多少あるとは思う。しかしなんでもかんでも『上級国民』というレッテルを貼って有名人を色眼鏡でみるのもどうかと思う。
あの死亡事故を起こした『某上級国民』と綾瀬はるかさんみたいな有名芸能人を同一視するのは無理がある。
前者は、過失だとしても幼い子供とその母親を死に追いやった人物で、後者は、自分自身がコロナに感染して多少の忖度もあり一般人より早く入院出来たというだけの話。
受け入れ先がなく救急車でたらい回しにされた挙句亡くなってしまった事例も多々あるにせよ、今闘病して苦しんでる人を叩くのはあまりにも酷ではないだろうか。
悪いのは、コロナ中等症で入院した「綾瀬はるか」ではなくて、入院難民が溢れかえるような状況を作り出した東京都や厚労省や政府なのは明らかではないか。
なぜか今の世の中、叩きやすいところにだけ攻撃が集中して、もっと批判されるべきところには口を紡ぐか、逆にその辺りのことに言及するとそのひと自身が胡散臭い目で見られるようなそんな空気になる。
臭いものには蓋、事なかれ主義というのか。
もっと言ってしまうと、綾瀬はるかさんが仮に特別待遇だとして何が悪いと言うのだろう。
わたしのようなブラックな会社に勤めるようなひとからすれば、大企業にお勤めでいち早くコロナの職域接種をするひとたちを羨むのと似たり寄ったりな話ではないか。
恨むなら学生時代もっと努力して大企業に入ろうとしなかった自分を恨めばいいし、頑張って綾瀬はるかみたいな国民的女優になればよかったのである。
でも努力したからといって必ずしも報われるとは限らないこともみんな知っている筈。
人生って実は努力よりもその時の巡り合わせや、タイミングや不確定要素で決まることがほとんどなのではないかと思う。
昨日、旧岩崎邸とグエル邸の画像を載せたら、それがあたかも搾取の象徴であるかのような捉え方をされた方がいらした。
でも果たしてそうであろうか。全くそういった側面がないとは言い切れないが、いい仕事をする為にはその一流の職人を集める原資が必要だし、金に糸目をつけず自分のこだわりを実現しようとする時の為政者や財閥のような存在があるから、守られてきた文化がたくさん存在するのだ。
ノーベル賞創設の経緯をみても、ダイナマイトで巨万の富を得たノーベルが自らの発明で犠牲になった人々に対するせめてもの償いの気持ちがあったからこそ始まったことなのである。
いいじゃない?お金持ちがいて、、、その人があと先考えず多額のお金を注ぎ込んだ結果で、沢山の人類の遺産が生まれたのだから。
同じお金の使い途でも和歌山のドンファンみたいなのとは全然次元が違うと思う。
インドのタージマハルなんて、アホな王様が作ったお妃の無駄に大きなお墓だと思うけど、あとにも先にもあれほど素晴らしい建物を建てることは出来ないとしたら、やはりそんな王様がいて良かったんじゃないかと思う。
遠くから観るとその大きさが分かりづらいけれど、あの正面入り口に近づくと、人の大きさとの対比でどれだけこの建物が大きいか分かるというものだ。
そして、これが全て大理石で作られていて宝石で装飾が施されているのだ。
これだけのものを生み出したインドだが未だ国民の多くは貧しいのである。
そう考えると日本の格差なんてまだまだほんの序の口だと感じる。
そして何より大切なことは、誰かを妬んだり僻んだりする感情より、いま目の前にある素敵なコトに素直に感動する自分でありたいと思う。
いいじゃない。綾瀬はるかが入院しても。
もし彼女が志村けんさんや、岡江久美子さんみたいになってしまったら、、、そっちの方が何倍も何百倍も悲しいと思う。
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