皆さんは ” 畠山重忠 ”という人物をご存知ですか?恥ずかしながらわたし、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をみるまでは全く存じ上げませんでした。
そもそもこの方、“十三人の合議制“のメンバーにも入っていないのですが、ドラマの中で彼をひと目見れば、きっと誰もが間違いなく「鎌倉の御家人のなかで一番凜々しい」と納得する中川大志が演じる畠山重忠なので、もう目が離せなくなってしまいました。
たまたま昨日、“上には上がある“なんて記事を書いたばかりですが、わたしは今までどうして彼のことを知らなかったのだろうと自分の無知を思い知りました。
ドラマでは「見栄えがする」という理由で源頼朝から先陣を命じられたり、凜々しい騎馬姿に沿道の女性たちが胸をときめかしたりする大変な美丈夫のうえ、音曲にも長じた人物として描かれています。
そして実際、鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』においても、頼朝が随兵の選定について「譜代の勇士」、「弓馬に優れた者」、「容姿の整った者」の「三徳」を条件にあげていて、その先陣に重忠は何度も選ばれていることからも、武芸に長じ、恵まれた容姿の持ち主だったことをうかがわせます。
またその真偽は定かではありませんが、一ノ谷の合戦における、いわゆる「鵯越の坂落し」で、義経軍が騎馬で急峻な崖を駆け下るなかで、重忠だけは愛馬に怪我させぬよう背負って下りたなど、その大力や、情け深い人柄をうかがわせる逸話が残っています。
そして武芸だけでなく音曲にも通じており、静御前が鶴岡八幡宮で頼朝や北条政子らの前で歌舞を披露した際に、銅拍子で伴奏しています。
そして頼朝は53歳で亡くなりますが、死ぬ間際に、重忠を枕元に呼び、自分が死んだ後の子ども達のことを頼んだと言われています。
残念ながら重忠は、その後起こった権力争いの渦中に巻き込まれていくことになります。
謀反を企てているとの讒言で、北条時政と牧の方(時政の後妻)が息子の義時・時房に重忠を討つよう求め、二人は重忠の誠実な人柄を信じ、反対するものの押し切られてしまいます。
そして元久2年(1205)、重忠の従兄弟にあたる稲毛重成の「鎌倉に異変あり」といういつわりの招きで、重忠は僅か134騎で菅谷の館から鎌倉へ向かいます。
途中、中の道の鶴ヶ峰に着いた時、子重保が謀反人にまつりあげられて由比ヶ浜で討たれ、自らにも数万の大軍が向けられていることを知り、ようやく謀られたと悟ります。
討伐軍の大手の大将は北条義時。家臣は一度菅谷の館に戻り軍勢を整えることを進言しますが、重忠は「引き返して軍備を整えたら、謀反を認めたことになる」と退け、奮戦の末に壮烈な最期を遂げます。
これぞまさに『武士の鑑』とまで言われた武将に相応しい潔い生き様だったのかもしれません。
そして結果的に重忠の率いていた軍勢の少なさが、重忠に謀反の意思などなかったことを証明したことになり、これがのちの牧氏事件から北条時政が執権の座を追われることに繋がっていくのです。
それにしても、中川大志さん、、、本当に凛として格好良くて、、、若干24歳の若者とは思えないくらいの堂々とした重忠を演じてくれました。
9月18日(日)の放送、、、これでとうとう彼の畠山重忠も見納めかと思うと、辛すぎます。
元々宮沢りえが大の苦手なわたし、、、今回重忠を死に追いやる一番の張本人・牧の方を演じているだけにますます嫌いになりそうです。
ところで神奈川県民にとって、二俣川と言えば、運転免許センターがある場所として有名なのですが、こんな壮絶な歴史の舞台でもあったわけです。
どんなに時代が変わっても、その時々で不条理は存在するのだと、、、畠山重忠ほどの何もかも兼ね備えた人物であったとしても抗えないものがあるのです。
しかし彼は最後の最後まで、潔く戦うことが武士の本懐という信念のもと突き進んでいったのだと思います。
皆さんは、そんな彼の人生から何を感じるでしょう。
そしてわたしは、現時点で中川大志さん以上にカッコいい畠山重忠を演じられる役者さんは居ないと自信を持って断言したいと思います。
興味のある方は是非ご覧になってくださいませ。
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