”2001年宇宙の旅”アナザーストーリー

「2001年宇宙の旅」は私が生まれた年(1968年)に公開された映画。半世紀前に製作された映画にもかかわらず今見ても全く古さを感じない。というより、まるで現実がこの映画の世界で起きた出来事をなぞっているかのような感覚さえする。

NHKBSプレミア、「アナザーストーリー」でこの映画に関する知られざるエピソードが放送された。監督スタンリー・キューブッリク、原作・脚本を手掛けたアーサー・C・クラークとの製作過程における様々な葛藤、監督のビジョンの具現化に苦悩した撮影スタッフたちの当時の心境、そして、この映画に触発され、のちにNASAの探査機「ニューホライズンズ」によって膨大なデータを収集、そして今まで人類が目にすることの出来なかった冥王星の画像を地球にもたらした研究者たちのエピソード。

今なぜ宇宙の話を?と思う方もいらっしゃるだろうが、逆に今、行動を制限されている状況だから、普段気にかけなかったことに思いを馳せるのもいい。

半世紀も前に、既にこの映画は、AIの暴走を描くことによって世界に警鐘を鳴らしている。現実に今のコロナ禍の状況に陥らなかったとしても、遅かれ早かれ、AIに統制されるようなオンライン化の波が押し寄せるのだろう。

宇宙の謎の解明は、一見日常とは全くかけ離れたことのようで、実は地球が抱えている問題を考えることに繋がっていく。

そして、この映画が公開された当時、関係者の大半の考えに反して、あえてナレーションで説明を加えることもなく、映像に特化して、観客に考えさせるという手法に対していち早く評価をしたのが若者だったという点も興味深い。

時は否が応でも流れていく。人は必ず年をとってその思考能力も自然と衰えていくものだ。でもそれでいい。あとは若者たちが時代を担っていけばいい。むしろいつまでも老人が既得権益にしがみつき若者の成長を阻害するということはあってはならないのだ。

もちろん、それで老人に存在価値がない等と言っている訳ではない。むしろこれからますます高齢化に拍車が掛かっていくのだから、その為にも若者に力を発揮してもらわないと困るのだ。このまま手をこまねいていたら、いつか必ず人間はAIの奴隷と化すしかなくなってしまう。

キューブッリク監督はそんな現代の危機的状況を、「2001年宇宙の旅」で語りたかったのかもしれない。もちろんこれは私の個人的な受け止め方にすぎない。

彼はAIですら成しえない、多種多様な受け止めや反応こそが人類に残された最後の希望だと伝えたかったのかもしれない。

この番組で触れられた最後のエピソード。

冥王星最大の惑星カロンの地形に、キューブリック山、クラーク山地など、2人にちなんだ名前がつけられたことをみてもたとえファンタジーの世界でも、それらを現実に近づけようと努力し具現化することは、人類全体の進化に大きく貢献することなのだと改めて認識させられた。

夢や理想があって初めて将来のビジョンを描けるのだと彼らが示してくれたのだから。

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