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完璧な羊

完璧な羊

わたしが敬愛してやまないアインシュタインさまは生前数々の名言を残された。とりわけその中で、今わたしの一番のお気に入りがこれ。

The most perfect sheep in the flock, but among them the most sheep seems to sheep.

(羊の群れの中で最も完璧な羊とは、なかでも一番羊らしい羊だ。)

アインシュタイン

ここでは、他人の人生との比較ではなく、また大勢の中にただ従っていくというのでもなく、「自分の与えられた人生と使命を抱きしめ深めていく」ことの大切さが説かれている。

自分に与えられた“使命“とは何か?

人生とは、その“使命“を見つけるためのアトラクションと捉えると、なんと楽しさに満ち光り輝いて見えることか。

この世は嫌味にあふれている

ところで先日わたしが呟いた『世界は自慢話に溢れている』をもじったかのような『この世は嫌味にあふれている』なんて呟きを見つけてしまった。

文脈から察するに、その方は『優しさを演じる』ことに、ご自身の人生の使命を見出しているようにもみえた。

だがそれに関してわたしがどうこういう資格はない。なぜならわたしには、もともと本当の優しさが何かなんて分からないから。

もっと身近な例で言えば、亡き姑からよく「わたしは世界一優しい姑。そんなわたしだからあなたはこの家に居られるのよ」と事あるごとに言われていた。

大体において自分を優しいとかいう人に限ってそうでない場合が多いのはお約束である。

そして、誰かの“優しさ“が他の人にとっても“優しさ“とは限らない。それどころか“大きなお世話“になってしまうとも限らないのだ。


また若い娘なら微笑ましいかもしれないが、いい年したおばさんが、わたしって天然だから、ドジっ子だからなんて呟きながら、事あるごとに自分の失敗談を恥ずかしげもなく晒すことの痛々しさ。

もし少しでもそれを指摘しようものなら、やれ傷ついた、心が狭い、優しさが足りないなどと揶揄されてしまうだろう。

しかしわたしには、立場の強い人たちが弱い人を弄って笑いを誘うような、それこそ趣味の悪いお笑い芸人の仲間内の馴れ合いにしか見えないのだが。

障がい者の家族

わたしが身内に障がい者がいる立場になったのは結婚してから。

それまでは常に健常者目線で世の中を見ていたのだと、立ち位置が変わって初めて気がついた。

それからおそらくそれがわたしが天から与えられたミッションだったのか、、、子供たちが通っていた幼稚園で、明らかに違う個性のお友達に出会い、そしてその中のひとりのママ友とはほとんど家族同然のお付き合いをして今にいたる。

でその彼女がいうところによると、障がいのある子どもを抱える親からすると一番ありがたいことは、『普通に接してくれること』なんだという。

「Tさんは、ずっと変わらなかったよね。たとえば、ウチが持ち家であろうと借家であろうと、子供同士の付き合いがあろうとなかろうと。Kちゃん(障がいのある息子さん)にも普通に接してくれたでしょ。実は一番それが有り難かったのよ」と。

わたしはずっと自分を冷たい自己中な人間だと思っていたので、それはとても意外なことだった。

そしてその時わたしはもうひとつ大切なことに気づいた。

本当の優しさなんて、受け取る側の性格や立場や状況によって変わっていくのだから、これが“優しさ“だなんて決めつけること自体が傲慢な人間の思いあがりなんじゃないかと。

同時期、幼稚園のママ友に兄弟2人共に重い特性を抱えた方がいらした。当時彼女が憤っていたこと。

ある健常者の子の親から、「みんなで〇〇君を育てていくつもりで頑張りましょうね」と父母の集まりのとき言われたのだとか。

わたしも身内に障がい者がいる身なので、その瞬間、

「は?その人何様よ」

と思ってしまった。今でこそほぼ子育ても終わり、表面的には平穏な暮らしを手に入れたようにも見えるが、当時は毎日が戦場のような忙しさだった。

そんな自分の子育てにすら精一杯の状況で、他人様の、しかも特性のあるお子さんを「みんなで育てていきましょう」なんて馬鹿も休み休み言えと言ってやりたくなった。

おそらく本人は、「障がいのある子どもにも優しい自分」アピールしたかったのだろうが、、、当然だがその後、彼女が、その家族と関わった形跡はない。

「優しい自分」をアピールする為に、「可哀想な誰か」を利用したり、一方的に「誰かを悪者に仕立てたり」そういう人を「偽善者」ということはあっても、とても「優しい人」だなんて思えない。まして中途半端に「優しさを演じる」なんてそんな自分に酔ってるのかと思う。

そして本当に苦しんでいる人が、そんな中途半端な「優しさ」を施されて喜ぶと思ったら大間違いだ。むしろ「優しくしてあげたあたしに感謝するのは当たり前」と上から目線を感じるのでイライラするばかりだ。

「誰かに優しさを」なんて、どんな聖人君子にも言われたくない。おととい来やがれだわ。

わたしの使命

そんなわたしの使命は一体なんだろうか。アインシュタインは、人間とそのコミュニティを“羊“と“羊の群れ“にたとえたが、一見大人しそうな羊でもそれぞれの個性を持ち合わせている。

そんな果てしないことを考えていたら眠くなってきた。

やはり羊を数えると眠くなるらしい。

それでは今日もまた“優しさ“に包まれていきましょう♪

昨日に引き続き藤井風さんです。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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