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【蝶よ花よ】紀三井寺という名のクレマチスが咲く

紀三井寺

わが家のクレマチス《紀三井寺》が咲きました。

美しい覆輪花に心癒され、そこはかとなく日本の和も感じさせてくれます。花芯の広がり方と花弁の大きさや色が絶妙です。カザグルマの系統を色濃く受け継いでいるパンテス系(早咲き大輪系)の清楚で気品ある雰囲気も相まって、クレマチス愛好家の間では絶えず強い支持がある品種です。

これからずっと大切に大きく育てようと思います。

クレマチス《紀三井寺》

クレマチスは、イギリスではバラと組み合わせて楽しむことが多い定番のツル植物で「つる植物の女王」との呼び名で親しまれています。

大輪、中輪、ベル型など、花色や花の形も様々でコレクションして楽しむ愛好家も多いお花。原種系のものは茶花として古くから愛されてきました。
花期が長いものが多く、ひとつのお花が二ヶ月も咲き続けるものもあります。
系統により花のつき方が違い、主に昨年伸びたツルに咲く「旧枝咲き(弱剪定)」、今年延びたツルに咲く「新枝咲き(強剪定)」、どちらにも花をつける「新旧両枝咲き(どこで切ってもよい)」に分かれます。

蝶よ花よ

初めて咲いた紀三井寺を見てうっとりしていると、花の匂いに誘われたのか、どこからともなくアゲハ蝶が飛んできました。しばらく様子を伺っていると、ビオラ・ラブラドリカとハツユキカヅラのハンギングでひと休みしています。

まるでこの一角だけ『蝶よ花よ』といった空気に包まれているようです。

周囲の人が過度に持ち上げて、機嫌をとったりすることを指す「ちやほや」という言葉。その語源が「蝶よ花よ」という言葉にあるとされていることをご存知でしょうか。

そして、その「蝶よ花よ」の語源は平安時代に詠まれたある和歌にあります。
その和歌を詠んだのは、平安貴族として藤原氏の最盛期を築いた藤原道長、その姪で一条天皇の后の定子なのです。

みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける

(世間の人がみんな花や蝶やといそいそと美しいものに浮かれる日も、あなただけは私の本当の気持ちを知ってくれているのですね)

そしてこれをさらに意訳すると「落ちぶれた自分を捨ててみんなが今をときめく人に走り寄る日も、あなただけは私の心の底を誰よりも知っているのですね」という意味となります。

もともと定子は、一条天皇の妃としての幸福な生活を送っていました。
しかし、激しい政権争いによって悲運の皇后としての暗く寂しい境遇に陥ってしまいます。

この際、定子の女房であった清少納言が慰めの和歌を詠んだのですが、中宮定子はその返歌としてこの和歌を詠んだとされています。

中宮定子が詠んだ一節「花や蝶や」はその後、日常語として用いられるようになりました。そして江戸時代、「花や蝶や」の「蝶と花」が入れ替り、さらにそれが略される形で「ちやほや」という言葉に変化し広まっていったのです。

現代ではあまりいい意味で用いられることはない『ちやほや』ですが、まさかこれが『蝶よ花よ』が語源だったとは。そして図らずも今話題の大河ドラマの登場人物が詠んだ和歌が始まりだったとは。まるでそれが蝶だけに、バタフライエフェクトを地で行くようなすこし深いお話のような気がしました。

そしてわたしは思いました。『ほんの束の間だったにせよ、きっとあの蝶はこの世の春を謳歌してくれていたのではないか』と。

花の色は移りにけりな〜のように、花はよく“儚いもの“に例えられます。しかし儚いからこそ、その“刹那“が美しいとも言えるのです。

花は散るからこそに美しく、人の心の琴線に触れるのではないでしょうか。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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