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気持ち悪い食レポ

食べることは大好きだが、グルメ番組に出てくるタレントや芸人の食レポは大の苦手。そしてTVで放送されたとか、〇〇さん(有名人)行きつけのお店とかそういうところに嬉々として出掛けていくのも嫌い。

自分のお気に入りのお店がたまたまそんなことになろうものなら嬉しいどころか、予約が取れなくなったり、接客がぞんざいになったりむしろ残念な気持ちにしかならない。

個人のブロガーさんの食レポの中には、表現がくどすぎて気持ち悪いとさえ思うものも多々あり。

そして、その理由を考えてみると、わたしの場合、大体が音声で品のない表現が多用されているものだと気づいた。これが文字にしてみると非常に不快になる。

「もちもち・ねっとりした食感」「口の中いっぱいに広がる」「〇〇をぐすぐすして〜」「わしわしとかきこむ」それを和洋中一緒くたに表現されているのを見ると、思わずやめてーと遮りたくなる。

なんでこれがそんなに不快なのかというと、うちの還暦じいがまさにそんな感じで、何かというと、ご飯に味噌汁をかけてわしわしとかきこんだり、パスタを蕎麦のように音をたててすすったり、料理を作った人や、同席者に対する配慮やリスペクトが全く感じられないのだ。

わたしと友人が旅する時はいつも、郷に行っては郷に従えをモットーにしている。東南アジアの国に行っていちいちパクチーを嫌いなどと言ったらおよそ現地の食など食べられたものじゃないし、イタリアのオステリアでカルボナーラを食べる時に、ずるずると音を立てて食べたらきっと現地の人たちを不快な気持ちにさせてしまうだろう。

そういえば先日どこかで『ナポリタンは料理というほどのものではない』という論調を目にしたのだが、これもナポリタン好きなわたしにとっては甚だ不快な文言だった。

そもそもナポリタンとは…諸説あるが、日本で最初にスパゲッティナポリタンを提供したのは、横浜の「ホテルニューグランド」と言われている。

もともとフランスでは、スパゲッティはメイン料理の付け合わせでしかなく、同ホテルでも最初はフランスの風習を真似てトマトソースやチーズで味付けしただけのスパゲッティが提供されていた。しかし戦後、進駐軍の米兵がスパゲッティにトマトケチャップをかけて食べていたことに発想を得て考案されたナポリタン。

そう、当時の日本において超一流のフレンチシェフが苦心の末に作り上げた料理を『料理とは言えない』だなんて、どんな偉い料理評論家が言ったのだろうか。

これが当時の総料理長入江シェフが新たなメニューとして、トマト本来の味わいを生かしたホテルならではの料理を提供しようと、ニンニクと玉葱の微塵切りを飴色になるまでよく炒め、生のトマト、水煮のトマト、トマトペーストを加え、ローリエとオリーブオイルを入れてソースを作り、スパゲッティと合わせ、この料理を「スパゲッティ ナポリタン」として提供したものである。

ナポリタン¥2,277(消費税・サービス料込) ホテルニューグランド

これだけ手間暇かけたナポリタンを食べて、料理ではないと言える人がいるとしたら、それはよほどの大馬鹿者と言われても仕方ないだろう。

そしてこんな上品なナポリタンを音をたててわしわしとすする下品なおっさんがいるとしたら、もう同じ日本人として恥ずかしいとしか言いようがないだろう。

まあここまで極端ではないしても、みなさんの身近にも少なからずいわゆるクチャラーといわれる人が存在するだろう。

自覚がない厄介なクチャラーの多くは、自分がクチャラーだとは気づいていない。周りの人からすれば耳障りな大きな咀嚼音を立てていても、自分はその音すら聞こえていない。その理由は、意識しているかどうかの違い。意識しているとすぐ気づくものでも、意識していない人は見聞きしてすらいない。

またこんなことを書いてしまうと、そんなことにイライラして、心の狭い人だと思われてしまうだろう。でも、そんなことを言えてしまう人自身がクチャラーかもしれないって考えたことあります?

それだけ無意識に他人に不快感を与える存在の人は、何もクチャラーだけに限ったことではないことに気づけば、全く今どきは不寛容な人が増えて云々などとまるで他人事のように言ってる人たちも、一度自分の発する咀嚼音に耳を傾けてみるといいかもしれない。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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