幸せ自慢と不幸自慢
『世界は自慢話に溢れている』などと思わずぼやきたく時があります。
自慢話といえばまず“幸せ自慢“や“金持ち自慢“などポジティブ系がある一方で、その逆の“不幸自慢“や“貧乏自慢“などネガティブ系の自慢もなかなか厄介。しかしそこに共通する心理は大体似通っていて、端的にいうとそれは承認欲求に集約されるような。
ポジティブ系自慢は説明するまでもありませんが、ネガティブ系自慢は若干複雑。
そもそも“不幸“や“貧乏“というネガティブ要素がなぜ自慢になるのでしょう。もちろん単純に自慢のつもりは一切なく、ただ本音を述べている場合もありますが、たとえそうだったとしても以下のような打算が全く働いていないと言ったら嘘になるでしょう。
- 大変な経験をしてきたことを相手に理解して欲しい→相手から「大変だったね」と慰められることで自分の苦労が理解されたような気になり、承認欲求が満たされる。
- 不幸や貧乏をアピールすることで周囲の人の気を引きたい→こういう人は寂しがり屋で構って欲しいという気持ちが強く、常に誰かにかまっていて欲しい。不幸話をすれば「かわいそうだね。辛い経験したんだね」と言ってくれると考えている。
- 特に貧乏アピールにありがちなのが「そんな経験を乗り越えていてすごいね」と言われたい→こういうタイプの人は、純粋に頑張るより、ネガティブ系自慢をするほうが簡単に相手から同情や慰めや、すごいと褒められることを無意識のうちに知っている。
もうひとつ、、、さきほどポジティブ系自慢はわかりやすいと言いましたが、それは額面通りならの話で現実には違う真実が隠されていることもあります。
そもそも本当に充実して幸せな人って、自分から話さないし、語らずともわかります。昨日の天然さんの話ではありませんが、本当に幸せな人は自分の幸せにすら気づかないのではないでしょうか?
家族にはじまり、学歴や他人からの評価、モテ自慢、友達が多いなど、幸せ自慢はたくさんあります。ただこれは自分をよく見せたい願望の強さを露呈しているようにも見えるので、ほどほどにしたほうがよろしいかと。
そう書いているわたし自身もそういう要素があると自覚しているので自戒を込めて。
心理的リアクタンス
さてここまで自慢話について触れてきました。ただブログなど書いてる時点でどなたも何らかの承認欲求があるのは否定出来ないでしょう。だからそれも程度問題だと思うのです。
あまりに〇〇アピールが強すぎるとわたしなどは若干ひいてしまいます。何かある度に、コメント欄がお祝いや絶賛や慰めや頑張ったねの嵐になると、わたしもそれに賛同することを強制されたような気持ちになって逆に反発したくなります。
このように自分の行動の自由を脅かされたり、実際に自由を奪われたと感じたとき、その自由を回復するように強く動機づけられた状態を心理的リアクタンスと言います。
心理的リアクタンスが生じやすい典型的な状況は、他の人からある特定の行動をとるように強制されたときや、行動の選択肢が制限されたと感じるときです。「絶対にやるべき」あるいは「絶対にやるべきではない」などの強制的な表現を使われと、むやみに腹が立ったり、反発したい気持ちになるのはこのためです。
ブログ記事でなんらかの強いアピールを見かけてしまうと、なんとなくもやもやしてしまうこともきっとこの心理とは無縁でないはずです。
以前わたしが投稿した記事にもありますが、本物はアピールしなくとも自ら光輝くものです。
太陽が登れば月がそこにあっても影が薄くなるように。
わが家のカオス
話は大船フラワーセンターにいった日に遡ります。
実はこの日、娘からじいにお土産を預かってきました。じいが以前、ホームセンターで庭に置く“はにわ“を買いそびれたことを事あるごとに話していたようで、たまたまおあつらえ向きのモノを見つけたようなのです。
それがこれです。なんか愛嬌があって可愛いですよね♪
はにわの頭に載せたのは、じいがどこかの100均で仕入れたミニ観葉植物です。
娘にこんなふうに飾ったよと写真を撮ろうとしていたら、「これを敷けばいいんじゃないか?」と言って人工芝まで持ってきてくれました。
じいはいつもわたしには塩対応ですが、子供と孫は本当に可愛くて仕方がないようです。その優しさのほんのひとかけらでいいから、こっちにも分けてーと思ったこともありましたが、今はもうどうでもよくなりました。
あの日は辻堂駅に着いてから、気になっていた花屋さんで、白いミニ薔薇と“デュランタのタカラヅカ“という品種の植物を買いました。ほとんど捨て値状態で2つでたったの300円でした。
それで、「安かったよ」と言ったのがいけませんでした。いまわが家の至るところに、こんなふうに新しい鉢植えが置いてあります。
ちなみに赤いBOXの上に載ってるのが“デュランタのタカラヅカ“です。
いずれはこんな花が咲くらしいです。
そして呆れたのが、お風呂にもこんなものたちが。
りすのガーデンピックには笑ってしまいました。
多分、じいは“可愛いもの“が好きなんです。
たしかにわたしには全く可愛げがなく、理屈っぽい性格なので塩対応なのでしょう。あはは。
わが家の緑化が止まりません。
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