まずは昨日、大阪のメンタルクリニックの火災で犠牲になれられた方々とそのご遺族の方々に心からお悔やみ申し上げます。
ご遺族の方におかれましてはただただこの現実を受け止められない気持ちで一杯だと思います。
本当にこういことが起きるたびにこの世の不条理を感じないではいられません。
そしてこのところ本当に理不尽な事件が多すぎます。
以前こちらのブログでも触れたことがありますが、わたしも一時期、鬱的な状態になって半年ほどですが国立の精神科の研究センターに通院したことがあります。
幸いわたしの場合は抗うつ剤などが必要な状態ではなく更年期からくる鬱的状態と診断されたにとどまりました。
わたしが通っていた病院は本来研究機関ということもあり通常は紹介状がないと診察を受けられない病院でしたが知人の助けもありなんとか受診に漕ぎ着けました。
お陰で素晴らしい先生に診察してもらう幸運に恵まれ、、、実際のところ特別な治療を受けたという感覚はなかったのですが目に見えて心が回復していくのを感じ、わたしのような軽症者の為に先生の貴重な時間を費やすのは申し訳なく感じたのでその後通院することはなくなりました。
しかし今も時々辛くなるとその時のことを思い出し、振り返り、立ち止まったりして心を落ち着かせています。
そして現実的にまたあの病院で治療をうけることが出来るかということは別として、もし最悪な場合はそこに駆け込めばいいかと思える安心感を得ることが出来ました。
でももしわたしがそんな恵まれた環境の病院にいくことが出来なかったらおそらく近所のメンタルクリニックに通っていたのでしょう。
そう考えると今回の事件はとても他人事ではないと感じられます。
現在のところ容疑者と思しき人物が意識不明の重態ということもあり動機の解明には困難を極めることが予想されます。
しかしどんな動機があったにせよ一瞬にして24人もの尊い命が失われたことには変わりはなく、おそらくほとんど人たちは容疑者に関わりもなかったのですから、その命が奪われてもいい理由などありはしないのです。
ただ近頃は、本当にほんの些細なことがきっかけで誤解が生じてしまうような、心にゆとりを持ちづらい世の中になってきたと感じています。
身近な例でいえばわたしと娘の関係だったり、わたしとDの関係だったり。
もちろんその誤解が殺人にまで発展してしまうとなると最早一線をこえてしまったとしか言いようがありません。
テレビではこんな時にはどうしたらいいかなどクリニックの見取り図が示されて専門家がコメントしていましたがあの図をみて助かる方法などほとんどありはしないことしか分かりませんでした。
同じような犯罪を起こす人が現れないことを祈るばかりです。
もちろん今の時点で犯人に対して肯定的な感情を持つことは出来ません。
ただ何も理由も分かってはいないですが、もしこの人にも親身になって寄り添ってくれる誰かがいたらこんな結末にはならなかったのかな?と思います。
そしてその寄り添うということがこれまたとても難しいことだと思います。
わたしが初めて精神科を訪れた時、先生と2時間ぐらいお話をしました。お話をしたと言ってもほとんど一方的にわたしが話している時間がほとんどでした。
たとえば先生から、あなたはどんな時に死にたいと思いますか?と聞かれました。
そうするとわたしはずっと過去まで遡って延々と話すといった感じです。
その診察から1ヶ月後からは処方された漢方薬を飲んで何か変化はありましたか?など聞かれた程度で、最初の診療のように細かく聞かれることはなくなりました。
しかしたったそれだけのことでしたが月一度先生に会って少し話をするだけで心が軽くなっていったのです。
先生からは処方された漢方薬の説明を受けただけであとは具体的な指示は何もありませんでした。
その時気づきました。問題を解決する答えは自分の中にしか見つからないってことです。
先生はわたしが自分で自分の心と折り合いをつけられるようただ見守っていてくれたのです。
もちろんわたしが重い精神疾患を患っていた場合はその限りではありません。
先生は最初のカウンセリングの時点である程度わたしという人間を把握してくれたのだと思います。
そしてきっとわたしはわたし自身の力で回復できると信じていてくれたのだと思います。
推察するに、あの事件が起きたクリニックにはわたしのように心に風邪をひいたような人が多く訪れていたと思います。仕事のストレスで退職を余儀なくされた方々が社会復帰を目指し励んでいた場所だったに違いありません。
でもおそらく犯人はそういう患者さんたちとは少し違っていたのでしょう。
もしそのひとがもう少し専門性の高い病院に通院することが出来ていたらこんな悲劇は起きなかったかもしれないと思うと残念でなりません。
改めて今回の事件の被害者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

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