最近届いたVELTRA からのメールに心打たれた。
“旅を通じて、子どもへ伝えたい
「すべてのものに敬意を」
多様な生態系が存在する場所では、簡単なルールがあります。すごく当たり前なことですが「野生動物にえさを与えない」といったような「そこにある環境を壊さないこと」です。
例えば私の場合、旅先で息子から「この虫、持って帰りたい!」と言われたことが何度もあります。ただ、その虫が元々いた場所に返さないとダメだよ。私たちが勝手に場所を変えちゃいけないよ、と。息子はしばらく駄々をこねてましたが、だんだんと自分の頭で理解したようで、それからは生き物を捕まえても元の場所に戻すようになりました。
大げさかもしれませんが、今振り返ると「少し引いた目線で、相手について考える体験」の一つだったかもしれません。ちょっとでいいから相手や周りのことを想像してみる。今は些細でも、そういった “相手を理解しよう” と繰り返していくことで、いつの日か、相手のことを尊重するような考えや、敬意に少しでも繋がっていってくれたら嬉しいなと思います。 (VELTRAマイ) “
元々このメールは、知床の自然にまつわる話が綴られていて、最後のほうにこのコメントが書き添えられていたものである。
私は旅を愛する者のひとりとして、そして子を持つ母親として、自分の体験と重なる部分も多々あり、深い感銘を受けた。
それで、今、子育て真っ最中の娘に、このメールをコピペして送ってみた。私もいつか孫に、こういう体験をさせられたらいいなぁという願いを込めて。
しかし、返ってきた返信は、予想とは全く違って、私の頭がおかしくなったのかというような反応だった。
“私がお母さんに対して敬意や思いやりが足りないって捉えてしまったよ。。”
私は、自分の言葉が、娘を傷つけていると感じていた。(もちろん、自分自身では傷つけているつもりはない)
だから、苦肉の策とでもいうのか、あえて、他の方が書いた話のコピペをして、送ってみた。
ただね。。。私の感覚だと、上記のような文面を読んで、自分に対する批判だと捉える人がどれだけいるかって想像がつかなかった。
はっきり言ってとても悲しかった。
それはまるで、以前姑が私に言った心無い言葉にも似て、、、深く深く私の心を突き刺した。
たとえ、親であれ、子供であれ、言ってはいけないことがあると思う。
もちろん、彼女が私に投げかけた、もっと直接的な言葉を載せるのは差し控えるけれど、、、
私は、本当の平行線ということを実感した気がした。
多少のすれ違いならなんとかなる。親子だから。
でも、私の今迄の育児を全て全否定されるほどのことをしたつもりも、言ったつもりもない。
娘は、Dの味方だから、どうしてもそういう考え方になってしまうのかもしれないが、そんな娘を育てたのは私。
そして、他の子供たちも。それぞれに分け隔てなく育ててきたつもり。
そして、それぞれに成人する迄育ってきた。それ以上どんな育て方をすればよかったというのか?
私の育児を全否定するなら、彼女の妹や弟も全否定ですか?そういうことですよね?それこそ失礼な話でしょう。
前回は、なんとか許そうと試みた。
でも、今回は許せない。許さない。
”しってるよ。お母さんからのプレゼントは孫のためとはいえもう施しは受けてはいけないのだと思ってます。“
施しって何よ?ここでこんな言葉使うのおかしくない?
それこそ慇懃無礼も甚だしい。自分は一流大学を卒業した素晴らしい人間だからへり下ってやってるつもりか?
ここ数日、萎縮していた。
自分の言葉が、娘を傷つけているかもしれないと気になって。
しかしもうそんな気遣いは無用ということが分かった。
私は書きたいことを書く。その時感じた様々な喜怒哀楽を。
たとえそれが回り回ってどなたかを傷つけたと言われたとしても、もうそれなら裁判にでもなんでも訴えてくれていい。
でも、特定の誰かを名指ししたとかそうじゃない限りそれもなかなか難しいことだとも思っている。
そして、思う。
『言われるうちが花』
誰も本当のことなんて言いたくない。だって誰にも恨まれたくないから。でもあえてそれを言うってことは、その人の為を思っているからってこと。
そしてまた、
『言わぬが花』
という言葉もある。言われた花の何倍ものもの言わぬ花がそこに隠れている。
そういった人の心の機微を感じ取れるひとになりたい。
まだまだ未熟ではあるが。
コメント